りんごと時間の経過と
風邪をひいた時、母はいつも「りんごのすったやつ」を作ってくれた。すりおろしリンゴなんてすてきな名前を知らなかったから、いつも「りんごのすったやつたべたい」とお願いするとでてきた。風邪をひいた時限定の極上な特権だ。
「弱音を吐いていいんだよ」、と言ってくれているようなやさしい味の「りんごのすったやつ」は、時間が経つと色が変わる。
くたびれたバナナのような色になる。それも悪くない。
時間の経過で変わっていく。
街並みも同じだ。数年訪れていないだけで、思い出の場所はまた別の人の思い出の場所になっいる、姿かたちを変えて。時間が経過するとは、そういうことだ。
時間の経過を味方につけている建物もある。古民家カフェなんて、そうだろう。時間の移りゆくさまが、建物の価値になっている。
でもそれだけでは足りたい。人が集う古民家は、なぜ人が集うかというと、そこに愛着のようなものが宿っているからであって、格別な愛を注いでいる人の想いがあってこそだ。
りんごのすったやつがおいしかったのは、母が私の喜ぶ顔を見たくて、すってくれたから。
古民家がすてきなのは、誰かが誰かのために愛を注いでいるから。
思い出の場所がうつくしいのは、たいせつなあの人とともに過ごした場所だから?
そういうストーリーのある世界が好き。
「りんごのすったやつ」を思い出したら、そんなことを思ったんだ。
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