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長男ダイスケの成長④

今日は、
保育所に入るまでの部分について
書こうと思います

ダイスケと
年子の妹ヒナを抱えての
幼児期時代は
私にとっては
子ども二人を連れて
深い深い穴に落っこちて

誰にも気付いてもらえない
出られる気がしない

そんな毎日に感じていました

もちろん
子どもたちの機嫌が良ければ
楽しく笑ったり
平和に眠ったりもしてましたが

辛かったです、多分、一番。。。

ダイスケが
朝日と共に目覚め
日が沈むまでは寝られないたちで

夕方には
ボロボロになって
機嫌が悪いどころではなくなる

昼間
ヒナが寝たい時は
ダイスケはハイパーに遊びたい
すると
ヒナが機嫌悪くなり

それを一人でどうやって
乗り越えていたのか。

早めの晩ご飯を仕込む時
ヒナは
私の背中で眠るのが習慣となり
巨大児だったヒナを背負ってのご飯作りのせいで

私は3ヶ月に一度くらい
起きられないし
寝返り一つ打てないほどの
頸椎の痛みに襲われていました

でも
それでもオットは変わらない生活を送っていて

二人を何処かに連れて行くと
決まってダイスケが
コーフンして
ヒナを突き飛ばしたり
叩いて泣かし
ヒナは声で応戦、、、

大騒ぎになり
私は出かけるのもつらい

家に3人でこもってるのもつらい

近所の友達に呼ばれても
ダイスケがコーフンして物を壊し
「ごめん、帰らせてもらうわ」
と言って
二人を連れ帰り
怒鳴り散らして泣きたくなる私。

そしてお詫びの品を持って謝罪。

たまには来てもらおうと
お友達を呼ぶと
またまたハイパーになり
みんなの嫌がることをして
収集がつかないからり

「ごめんやけど帰ってもらえる?」

と言わざるを得なくなる。

もう限界だと思って
子どもにもわたしにも
この状況は良くないと

近所の保育所に
入園させて欲しいと
事情を話しに行った

一時預かりでもいいので
お願いしますと

園長先生が対応してくださり
ひとしきり話を聞いてくれて
子どもたちの相手をしてくれた後
言われたのが

「私ならこの子たち
どこへでも連れて行けるけどねえ」


私の中で
何かが音を立てて崩れた

ポキン、、、

その日からまた
気を取り直して
毎日を過ごすが
やはり辛くなって

隣の市が
一時保育を取り入れたと聞いて
越境にはなるが
私立なのでなんとかなるかも、と
訪ねてみた

来週から来ますか?

と園長先生。

しかし、次の一言、、、

お母さんも一緒に過ごしてね。


あ、、、はい。

それで
ヒナを抱きながら
一緒に3日ほど通ったが

一度だって
先生たちから
ダイスケの名前すら呼ばれることがなかった

これまた
私の心の中で
音がした。

ポキン、、、

それ以来
人の手を借りるのは無理なんだと
諦めの境地でいた

買い物に行けば
スーパーで通路に積んである
段ボールを押して倒したり
魚のトレイに穴を開けたり

病院に行っても
大きな声を出したりして
冷たい目で見られたり
とにかく気が休まることがなく

私は美容室にも
自分の歯医者にも行けない

かなりボロボロでした。

「心の底から笑いたい」

というのが私の願望でしたから。

今のお母さんたちとは
また状況が違うのかも知らないけど

行政は
障害児の子育てに対して何体制が
まともに整っていなかった

市役所に
助けてくれるところを求めて行くと
役場の片隅の部屋に遊具などを置いて
子供を遊ばせながら
もと保育士?の年配の女性が
話を聞いてくれる

そんな程度だった

私は
時間ができたら
精神科へ行って
安定剤をもらうんだ、と決めていた

行く暇はなかったけど。

だいぶ後で気が付いたんですけど
その頃に
たまたま時間潰しでうろうろしていた本屋で

子安美智子さんの
「ミュンヘンの小学生」
という本を手に取って購入していたのです。

そこに書かれていた小学校では
一年生が教室に入る時
先生が一人一人の名前を呼び
握手してから入る

帰る時も
先生に一人一人呼ばれて
握手してご挨拶する

覚えていないけど
そんなことが
イラストと共に書かれていたように思います

その本を読んだことすらわすれて
シュタイナー学校と
七転八倒の幼児期の後に
運命の出会いをすることになります。

シュタイナー学校は

私にとっては
命を助けてもらった
私が息を吹き返した場所となりました。

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