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大学入学以前の話

私の拙い文章を読まれていて少し恥ずかしいのですがぼちぼちと書いていこうと思います。

まず大学で起こった出来事を話す前に私の小学生以降のことについてまとめてみようと思います。


小学校時代

幼稚園までは別の地域に通っていた。小学校入学時期に父の転勤が決まり引っ越しをした。そのため幼稚園が一緒だった子が一人もおらず友達0からの小学校デビューだった。

小学校入学後、私はものすごい泣き虫だった。少しでも嫌なことがあればすぐ泣く。そんな子供だった。今考えれば友達にはなりたくないと思われても仕方なかったほどすぐ泣いていた。
勉強の面でも、学校に通うことの意味すら理解していなくて勉強という概念自体理解していなかった。みんなが100点を取るようなテストで60点を叩き出して母親が学校に呼び出され面談したこともあった。漢字テストも何度も何度もやり直しテストをしていた。

小学3年生の末頃に「流石にここまで勉強できないのは、、」と母に心配され塾に通い始めるようになった。そのころから勉強するということを理解し成績は悪いままだったが、以前よりは勉強をするようになった。

そんな私にも小学4年生のときに転機が訪れた。もともとは賃貸に家族で住んでいたが家を買ったことにより隣の学区の小学校に転校することになった。
私は4年生の頃もまだ泣き虫だったため、自分がこのまま泣き虫のままでもよいのか自分の中で考えた。たしかに1年生の頃よりは泣く回数は減ったがまだまだ泣き虫だった。元いた小学校では私のとこを小学校入学後したときから知っている人ばかりだったため、泣いたところでみんなが優しく受け止めてくれていたが次はどうなるかわからない。「このまま泣き虫のままでいるのもだめだ」と思いもう人前で泣かないと固く心のなかで決意を持って転校をしました。

小学校転校〜中学校卒業

泣かない決意を持って転校をした小学校は前いた小学校よりも少し荒れていてあのままの性格のままでいたら多分いじめめられていたか、少なくとも嫌われてはいたと思う。

小学生4年生あたりに「本を読む」ということにハマりっていたこと、転校先でそこまで馴染めなかったことから、転校してから小学校卒業まで5.6年生の2年間は教室の隅でずっと本を読んでいるそんな子供だった。

中学校入学後はソフトテニス部に入部し程よくサボりつつ部活動に勤しんでいた。高校受験については第一志望であった県立の高校に落ちてしまい、滑り止めで受けていた私立の特待コースで入学することになった。私立の特待と言ってもそこまで全体的に成績が良くない私立でギリギリ特待に入れたといったあたり。

高校生時代

女子高生と言っても私の高校生活はそこまで煌びやかなものではなかった。1年生の頃は自転車通学、1年の冬あたりから帰りが遅くなるということからバス通学、コロナが流行り始めた3年あたりからは親の運転する車で通学していた。

よく憧れる高校生活ではなかったがほどほどには楽しかった。特進コースに所属していたため一クラスに20人ほどの人数しかいないという少人数クラス制で授業が進んでいた。


高校2年生頃からSNSにハマってしまい成績がものすごく落ちた。そのまま勉強しないまま3年生まで過ごしていたため、3年生になったすぐの模試でものすごく悪い成績を出してしまった。私には兄と姉がいるのだが、二人が大学に進学していたため私も大学に行ってみたいと言う気持ちがあった。県立高校に落ちてしまい私立高校に通っているにも関わらず、私立大学に進学は流石に両親へ申し訳ないと思い国公立に進学を考えていた。担任から内申点は良かったため推薦を勧められた。そのため一般入試ではなく推薦入試で地方大学を受験した。

推薦で奇跡的に合格することはできたが、進学先は新幹線と電車を乗り継いで5時間かかるほど実家から遠いところで両親からはとてつもなく心配された。しかし、一人暮らしの強い憧れから進学することにした。


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