休職してからの後悔③
更新が遅くなりました。
休職してからの後悔①②はこちらでお読みください。
退職後 2023年秋~冬
会社を退職して、私は無職になった。
フルタイムで働く2児の母だった自分自身を、今は遥か昔に思う。
休職してすぐは、仕事での嫌なことを思い出さないようにするけれど、
でも結局考えてしまって、理不尽だったこと、言われたパワハラのセリフ、つらかったこと全てがフラッシュバックして、
うわーっとなって、めまいがして、動けなくなって。
やっと起き上がれるようになったら、ゆっくり家事をして、
また横になると動けなくなって。という感じだった。
それが、だんだんと「なぜ私はこうなってしまったんだろう」「どこから人生間違ったんだろう」と思うようになった。
何も出来ずに動けない自分を受け入れられなかった。
今までも確かに、疲れると頭が働かず、活字が読めなくなっていた。
字は読めるけれど、内容が頭に入ってこない。
話したい事を話しているつもりなのに噛んでしまう、
違う言葉を発してしまうなど。
これは明らかに脳が疲れていたのだ。
キャパオーバーの合図だったのに、私は気づかぬふりをした。
むしろ、その症状が気になり始めた頃は第2子の育休明けだったので、
マミーブレインかと思っていた。
実際はマミーブレインもあったのかもしれない。
でも、第2子の育休明けで
フルタイム復帰したことによる疲れも原因だったはずだ。
「これはマミーブレインだ」
「この頭が働かない感じはそのうち良くなる」
と信じ続け、持ち前の根性論で自分を鼓舞し続けていた。
あの時点で、自分を労わってあげてたら、
全部きついです!と声を上げてたら、
何か変わっていたかもしれない。
あの時の私は弱音を吐けなかった。
そんな頭が働かない状態で、
いろいろギリギリの状態で、
異動になり、職場が遠くなり、
仕事も新しく覚えきゃならなくなったのだ。
自分でもがんばって新しい環境に慣れようとしたけれど、
その環境に慣れず、職場の上司も合わず、適応障害になった。
頭ではいろいろ考えてしまうのに、体は鉛のように動かない。
眠くて寝ているわけではない。体が本当に動かなくなる。
例えて言うなら、高熱でダウンしているときに似ている。
トイレに行くのにも、水を飲もうと体を起こすのにも、
精一杯になるあの感じ。
症状がひどいときは、体を起こそうとしたのに
「あれっ?体ってどう動かすんだっけ?」と思ってしまったこともある。
「メンタル疾患=脳の病気」脳が働かないことを痛感したのだった。
ソファに横になって動けない私を見て、夫も子供達も心配した。
私の病気を理解している夫はもちろん、
「ママは体調が悪い」ということだけ知っている子供達も。
ゆっくり起き上がって家事をするときもあるけれど、
ダウンしていることが多い母親を見て、
いろいろ思うことがあったらしい。
初めは「ママが倒れてる!」と驚いて駆け寄り、
頭をなででくれたりしたのだが、
だんだんと見慣れたのか、
そっとしておいてくれるようになった(笑)
私は自分がとにかく情けなかった。
寝てばかりのこんな母親でごめんね、と思っていた。
少し前まで、忙しく働く母だったのに。
かっこいい母でありたかった。
一度、小学生の娘に
「働いていた頃のママの方が良かった?
家事もできないで寝てばかりでごめんね」と言ったことがある。
すると「仕事をがんばっていた頃のママも、
体調悪いのにがんばって家事してる今のママも、
どっちも好きだよ」と言ってくれた。
嬉しくて涙が出た。
夫にそのことを伝えると
「どんなママでも、子供達にとっては大切なママなんだよ」
と言ってくれた。また泣いてしまった。
早く治したい。早く治さなければ。
自分のためにも、家族のためにも。
「適応障害」と診断されて半年。
体調は低空飛行のまま、月日だけが過ぎていった。
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