見出し画像

大騒動な出産~ようこそBIGベイビー~

某日、私は激痛に襲われた。なんて話はなく…今回は大騒動だった出産の思い出を書いていこうと思います。(コロナが流行りだして立ち合いもなかった頃です。)
妊婦検診で毎回特に問題もなく、臨月のときに赤ちゃんの推定体重は3500gでした。しかし生まれてみると…


大騒動になってしまった原因は

私「先生、もしこのまま大きくなり続けて、4000g以上になるなら帝王切開になりますよね」
先生「うーん。4000g超えても自然分娩できた人いるし大丈夫!」
私「初産ですけど、本当に自然分娩ですか?!」
先生「大丈夫、大丈夫!」

皆さん、この会話を忘れないで下さい。

出産〜忘れられない3日間の記録〜

〇月〇日 
予定日よりも4日遅れた。お腹の張りにだんだん腰も痛くなってくる。

〇月△日 
夜中3時頃から陣痛が始まった。4時に看護師にノンストレステスト(以下NST)モニターをつけてもらい確認するも特に変化なし。
朝方、別部屋でNSTを受けてご飯をもりもり食べる。
定期的に陣痛はきてるが弱い。子宮口は朝4センチ、昼からずっと6センチ。(夜まで変わらず)
お昼過ぎに分娩室移動→することもあまり変わらず、ずっとモニターつけて待機。だんだんご飯が食べられなくなってきて悲しい。
自分では陣痛では?という痛みがあるのに、モニターの数値は低くて驚く(痛みに強いねと言われ複雑でした)結果、痛みで気絶しながら就寝。

〇月×日 
朝方、院長が内診すると子宮口も9センチ、破水も少ししてるとのことで今日中にお産だろうと言われた。朝ごはんはおにぎりとインゼリーひとつずつ。体力をつけないといけないのに、なんだかお腹がいっぱい。

そこからずっと待機するものの、あまり何も変わらず11時頃に副院長が内診で全て破水完了してくれた。陣痛が本格的にもっと痛くなったら赤ちゃん降りてくるからねーと言われ、ワクワクし始める。
その後は、あぁこれは陣痛だ!としっかり分かるほどの痛み。それでも深呼吸してれば痛み逃しはできていたが…徐々に分娩台の柵を力いっぱい引っ張り出す私。12時のお昼はもちろん無理、インゼリー半分も食べられない。

さらに昼の内診。ここからが本当の闘いだった。
先生「あれ?子宮口9センチ?赤ちゃん降りてきてない?」
内診でぐりぐり→様子みよう
その後、子宮口は全開になったが、赤ちゃんは一切降りてこず。
いきむ許可も出るが、とにかく痛い。とうとう唸り出し、叫び出す。(多分院内に響いてた)そして悪化する謎の胸下の鳩尾の痛み。
いきむと鳩尾パンチが決まり、何もできない。呼吸もできない…死ぬ?

その結果
赤ちゃん→心拍数高くなる 何度もモニターから音が出る
母体→胸下(鳩尾)が痛い、酸素マスク、目が開かない(チカチカする)、頭痛、吐き気

エラー音みたいなの鳴ってるのに誰もきてくれないって何故だーーっ!隣の分娩台で帝王切開してるからって…誰か1人くらい気づいてほしいよ。悲しい。

ようやく先生たちが来てくれた時には息も絶え絶え。鳩尾痛すぎていきめない、赤ちゃんの心拍数もよくない。よって…まさかの県立病院に搬送(え、生きてる?)
救急車到着して、産婦人科の受付を通るストレッチャーに乗せられ、絶叫している私。みんなきっと驚いてただろうな…

人生2度目の救急車で搬送。県立病院で帝王切開だ!助かったと思いきや、
「破水、子宮口全開だから、通常分娩出産だと思って準備してたんだよ」
と言われ絶望。(ここでも?!まさかの?!無理!!人生で一番絶望した)

しかし、運ばれてきたこの状態を一目見て、とても優秀な助産師さんが一言。「先生、赤ちゃんの位置おかしい。絶対これは生まれない。」
…神様ーーーーーーーッ!!!
バタバタとエコーとか赤ちゃんの心音を調べた結果、赤ちゃんの頭の位置がよくないということで緊急帝王切開決定。助産師さん本当に感謝。

意識が朦朧としながらも震える指で色んなサイン書いた。色々サポートが凄かったこと覚えてる。
手術決定まで大騒動だったけど、救急車から降りて手術台につくまで、ずっとお尻押さえててくれて感謝。ありがとう、神助産師さん!!
私と息子は、このお尻を押さえて、頭の位置がおかしいと的確に見抜いた助産師さんに、一生感謝しなければならない。

あっという間に 爆誕

出産を終えて

麻酔科の人たちと連携してたけど、県立病院の連携とアフターケア凄いな…病室に来る看護師たち、皆んなが記録を更新しました!って言ってくる。
体重なんと4366gBIGボーイ!(なかなか4300gOverなんてお目にかかれないらしい)
へその緒も立派だったそうな…多分、病院イチ有名になった、BIGボーイ!
私も出産予定日の数日前で、1キロ近く胎児が成長するとは思わんかったよ!!!
と、ここまで興奮しているのに、まだ実際に一目しか会えていない。何故なら「巨大児」だから。

巨大児なので

とても大きく生まれてきた我が息子。対面はできたものの、すぐに新生児集中治療室(NICU)へ。血糖が低いので、4日間入院。こんな感じで、管がいっぱい刺さってて泣きそうになった。その後は数値も良くなり、元気に戻ってきてくれました!
しかし…NICUの主みたいな大きさだなぁ。

ケースが狭そうな生まれたばかりの息子

え、発熱したよ。新生児(と私)

出産から8日後に、親子とも退院。退院前に先生から一言もらいました。「君は帝王切開の時、子宮が破れててね(?!え、子宮破裂?今言うの…よかった無事で)」
と衝撃的なことを言われましたが、これから家族みんなで過ごすぞーと意気込み、生活スタート!

ところが、退院後2週間でまさかの発熱。
まずは私が悪露の溜まりすぎで発熱。退院の時チェックしてくれたはずなのに…(そしてまさかの日曜日。コロナを疑われて受け入れてくれない休日当番医)
なんとか受け入れてくれた病院の薬で熱を下げるも、次の日に発熱する息子。血液検査などもして原因を調べるも、なにも分からず。
今思えば、私が薬を服用している状態で授乳してたから?病院には授乳中と話をしていたし、結局ナゾのままです。

お腹にいる時から生まれた後まで、こんな波瀾万丈なスタートを切った我が家。でも、それ以降大きな病気もしたことのない、元気いっぱいのヤンチャに育ったので良かったのかな?
また、いつかの機会に息子の紹介ができればと思います。

最後に言います。一番初めに書いた、病院の先生の「大丈夫」は全然大丈夫ではなかったです!!

長々と思い出話にお付き合いいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?