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五泉の田舎町から世界へ「権平農園」

皆さんは五泉市にある権平農園をご存じですか?権平農園は五泉市三本木に事務所を構える農家なのですが、この五泉市全体、はたまた新潟県全体にとても大きな影響を与えているすごい農家さんなんです!
この記事ではそんな権平農家が五泉市に与えてきた影響、五泉市の特産品である里芋の秘密や、農家の今後の展望について紹介します。


権平農園の立地状況

権平さんの事務所は五泉市の三本木にあります。


権平農園の事務所

「減反」に対応して里芋作り開始!

そもそもなぜ五泉で里芋作りが盛んになったのでしょうか?その始まりは昭和45年に行われた減反政策にありました。減反政策とは戦後にお米を作りすぎたため、多く作ったお米に代わって別の作物を作ろうという制作の事です。当時お米を作っていた権平さんもこの減反政策に直面し、お米に代わって何の作物を作ろうかと悩んでいたそうです。そんな権平さんに新しい作物づくりを進めたのは河渡地区の人たちでした。

新潟市東区の河渡周辺の地図

河渡地区は新潟市東区のある地区のことです。河渡地区の地形は海岸から内陸へ海岸線と並行して砂丘列が連なり、内陸部は平坦になっている地形です。この砂丘列というのが重要で、砂丘はとても水はけが良い地形であり、この地形にピッタリな作物というのが里芋とチューリップの球根です。河渡地区の人々と交流のあった権平さんはこれらの作物の作り方を教えてもらうことによって、減反政策下における新たな作物づくりを開始しました。このことから、現在権平農園で主要な生産作物となっている里芋や球根は河渡地区の人の協力によって作られたものであり、それがさらに五泉の地域で作られることによって、五泉で里芋作りが流行ったということです。つまり、五泉の里芋のルーツは河渡地区にあったということです。

また五泉の特産品である里芋の帛乙女に関する小話も聞くことが出来ました。

五泉の里芋「帛乙女」
https://www.city.gosen.lg.jp/organization/12/7/1/1/1772.html  

その昔1990年代頃に、新潟の五泉や新発田、白根などの地域では当時の天皇の下に農家が作った作物を献上するという取り組みが行われていました。五泉からも特産品である帛乙女を平成天皇に献上したという実績があります。またこの帛乙女の名前の由来についての小話なのですが、もともとは「絹」の漢字を使って絹乙女という名前にするようだったのですが、この名前に決まる直前で市長が「帛」の字の方が五泉の織物である羽二重のイメージに合うということで、今の「帛乙女」の名前になったという裏話があるようです。

五泉の町と世界の国オランダを貿易でつなぐ

権平さんの作る主な作物はこれまで述べたように、お米や里芋、チューリップなのですが、権平さんはこれらの作物を育てるというお仕事に代わってあることに関わっていました。それがオランダから球根を新潟までの輸入を仲介する役割です。
しかしそもそもどうして海外から球根を輸入することに至ったのでしょうか?そこには植防という規則が深く関わっています。

植物防疫法と権平さんの方針転換

植物防疫法(昭和25年法律第151号)は、輸出入植物及び国内植物を検疫し、並びに植物に有害な動植物を駆除し、及びそのまん延を防止し、もって農業生産の安全及び助長を図ることを目的とした法律です。この法律によって、もし日本に植物を持ってくる際には様々な検査や手順を踏む必要があり、とても手間がかかるため自国で栽培した方が何かと安上がりでした。しかし、後に植防の自由化によって、昔よりはるかに他国から植物を輸入しやすくなり、その結果自国で球根を栽培するよりも海外から輸入した方が手早く安く済むということに権平さんは気づきました。それで権平さんはオランダと交流しながらたくさんの球根を日本へと運んだのです。

五泉の町と世界の交流

また、権平さんがオランダと球根の交渉を行ったことで日本にたくさんのチューリップの球根が運ばれただけでなく、国際的な結びつきもできました。五泉市には国際交流協会が作られ、そこで権平さんは昔副会長を務め、五泉の発展のために努力されたそうです。この五泉市の国際協力協会の動きは現在でも続けられていて、SNSで実際に活動内容を確認することが出来ました。

五泉市国際協力協会のfacebookページ
https://www.facebook.com/gosen.IEA?locale=ja_JP  

権平さんが訪れたオランダの町「エンクハイゼン」

権平さんはオランダと球根の貿易を行う際、レンガ造りの街並みが特徴的なオランダの町エンクハイゼンで町の人と交流しながら貿易していたと語ってくれました。オランダは西岸海洋性気候により年中温暖な気候で植物が育ちやすい環境です。その中でも特に球根の栽培が盛んにおこなわれていて、世界の球根の貿易シェア率では9割を超えるほど球根の生産が盛んに行われていてとても花が有名な土地だということが分かります。そんなオランダの町から、権平さんは日本に球根を運んできてくれていたんです。

オランダの現地で購入したエンクハイゼンの街並みを表わした地図

権平さんが伝えたい農家の現状と未来

お話の最後では、現在の権平さんの農家の運営状況と、農家の悩みについて話してくれました。権平農家は家族経営で運営しており、権平さんとその奥さん。そしてパートの人を含めた5人ほどで活動しており、五泉市にある事務所と胎内市にある農作物を育てている畑を行き来しながらお仕事をされています。権平さんは自分達が行っている農業の運営の形である家族経営は昭和の形であるとし、これからの若者たちには機械化により効率的に、そしてより大きな田んぼを管理していってほしい願っていました。ただ現状では日本全体、そして五泉市も多くの田んぼや土地を使い余している状況であり、みんなが農業にもっと関心を持ってくれることと、この現状を国にもっと知っていってもらわなければいけないんだとおっしゃっていました。

まとめ

皆さんいかがでしたでしょうか。このように権平農園は五泉という小さな町からオランダという世界の国とつながり、そして五泉に多くの交流の機会と作物をもたらしてくれました。五泉という町とこれほどまでに深く関わっていた権平さんの存在について知ることで、五泉という小さな町の大きな魅力を皆さんにも知っていただけたらとてもうれしく思います。

権平農園の販売ページ

権平農園では現在五泉市の里芋である「帛乙女」やいちごの「越後姫」。新潟県産コシヒカリの販売を主に行っています!直売所やネット販売でも販売を請け負っているのでぜひ気軽に電話や注文を行ってみてください!

https://wye6q.crayonsite.net/  

ご注文、お問い合わせ番号
080-5052-8277

直売所
〒959-1811 新潟県五泉市三本木3丁目1−15


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