偶然と運命 ガルクラ第1話冒頭考察

仁菜「SNS見てたら、今日ここでライブやってるって。運命だなって」

ガールズバンドクライ 第1話 東京ワッショイ 

桃香「まあ、でも、本当に運命なのかもね」
仁菜「はい、運命です!」

同上 

 ガールズバンドクライは今のところ自分にとって、見るたびに新しい発見がある作品となっている。その発見は演出のレベルでもあれば、台詞回しや物語の構成のレベルの場合もあるが、物語の構成のレベルという点では、今のところかなり緻密に組み上げられていると見える。物語全体の歯車が細部までぴったり噛み合っている感じとでも言えばいいのか。見返すたびにそれが確かめられて、その発見が心地よい。

 それだけに、この物語の第1話、冒頭の「偶然」がなにをあらわしているのかについて考えてみたい気持ちになる。

 仁菜と桃香の出会いはいくつもの「偶然」が重なった奇跡的なものとして提示されているように思える。その「偶然」をためしに箇条で書き出してみると、

  • 仁菜が寝過ごして東京駅まで来る

  • 仁菜のスマホの充電が切れる

  • 降り駅を間違え、時間に遅れたために、不動産屋で家の鍵をもらえない

  • メーターボックスのなかを捜して物音を立てて、お隣さんとエンカウント⇒とっさに「逃げ出す」

  • 川崎駅近くの喫茶店で時間を潰す

  • ふとSNSを見て、偶然に、川崎アゼリアでの桃香の路上ライブを知る

  • 桃香がちょうど「空の箱」を歌っているところに出くわす

 仁菜と桃香の出会いが、いかに綱渡り的な「フラグ」の回収の下に起こったことかが、これらからうかがえるだろう。この出会いは、仁菜が寝過ごしてしまうという明らかな偶然からはじまっている。加えてそもそも、「桃香の最後のライブの日」と「仁菜が川崎にやってくる日」が重なったことが、絶対的な偶然の一致としてある。つまり、ガールズバンドクライという物語のはじまりは、どうしたって必然化できない「偶然」に端を発している。いくつかの偶然をきっかけとして、その結果としてこの物語は動きはじめるのだ。

 これだけ緻密に組まれているかに見える物語のなかに、こんな偶然がぽっかりと口をあけているようでは、こちらとしても落ち着かない。というわけで、考えたくなってしまうのだ。そうして、ここにはどうしたって完全にしっくりくる理由がないという堂々巡りにつき当たる。そうなると我々は冒頭に挙げた仁菜たちの言葉のなかのある単語を持ちだしてくることになる。つまりこれは「運命」なのだと。

 このはじまりにおける「偶然」は、それ以降の物語の緻密さとは対照的である。物語の流れがしっかりとしているだけに、その最初にある「偶然」がいっそう際立つのだ(※)。そして、はじまりが偶然であるほど、言い換えると、そのはじまりがたまたまこうなったとしかいえない「理由のなさ」に根差しているほど、いっそう二人の出会いは「運命」としか表現しようがなくなってくる。

 「運命」を必然の絡まり合いとみるか、偶然の絡まり合いとみるか、それともどちらともの複合とみるか。あまりに大きすぎる問いだけれども、すくなくともこの作品は、「運命」の源を、「偶然」というぽっかりあいた思いがけなさに見出しているように思う。「どうしてこうなったのか?」という問いに、まず「それは偶然だ、こうなったからこうなのだ、そこに理由はない」という答えを与えて、この物語ははじまる。その「たまたま」を「運命」と呼んで、彼女たちは進んでいく。

 現実を生きる私たちもまた、ある点では彼女たちに通じているだろう。自分がなぜこんな自分であるかということに、究極的な理由はない。たまたまこうある自分を引き受けていくとき、そこで私たちは「運命」と呼ぶしかない自分たちのなにかを引き受けているはずだ。


(※)この「偶然」は、桃香と仁菜とすばるが通う吉野家で、智とルパがバイトしているという点にも見られるかもしれない。彼女たち二人が、まさにその吉野家にいるのも、偶然としか言いようがない。

自分によって書かれたガールズバンドクライの記事を以下にまとめることにしました。よろしければご覧ください。

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