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declining industry

以前に「中年の危機」について、少し書いたと思うのだけれど、
年齢を重ねると共に、いろんなことを知ったり、考えたりする機会が
蓄積されて、世の中のことに「それって、おかしい」と思うことが
増えているように感じる。

「”間違ってると思います!こっちが正しいと思います”と声を挙げることが
社会を変える一歩なのだから、主張すべきでしょ!私が声を挙げなくて誰が
やるのよ!」
って熱くなる私と、

「いやいや、大きな声を出したところで、誰も聞いてくれないんだから、
黙ってる方がいいって。省エネで細々生きてる方が楽だよ。
とりあえずビール飲もー」と
寝そべりながら諌める私。

多分まだ、わずかに前者の「私」の方が優勢のようで。
とはいえ、地位も権力もない私は、どんなふうにそれを世に発信しようかと
考えた時に、古典的な報道機関に意見を送ってみよう。と思い至った。
昭和人間なので、新聞には信頼を寄せている。
というよりもSNSとか?TikTok?X?フェイスブック?がよくわからないのが
実際のところ。
とある新聞の記者によるポッドキャストで、新聞記者の方が
「新聞は斜陽産業だからね」と何度かおっしゃっていたのだが、
私は新聞が好きだ。誌面を広げると、
私の興味のあることもないことも視界に入ってくるから。
そして紙の誌面をチョキチョキ切って、スクラップブックに貼り付けて、
時々見返すのも好き。

私は今、紙の新聞を2誌、デジタルの新聞を1誌購読している。
どちらの媒体もそれぞれの良さがあって、好きだ。

話が逸れたが、私が”斜陽産業”に投稿するのは「これ、もう黙ってられない案件」が発生した時。
ラッキーなことに、今まで6回ほど、全国紙に載せていただいた。

振り返ると、全く異なるテーマの投稿だ。自分自身の関心事にまとまりがないことを示しているし、注意散漫で「一体何がしたいの?」と言われる所以なのだと思う。

でも、反論させてもらうと、全てのテーマは関連性があり、どこか一つだけ
取り上げるのは「大きな問題」を断片的に切り取られてしまい、解決への道が
見えにくくなるし、解決が困難になる、と個人的に思う。

今年2024年3月に大学院を修了してからというもの、最近、何かについて、
溢れるパッションで考え尽くしたり、けんけんがくがく仲間と討論し尽くしたりする機会が少なくなった。
今、過去の投稿テーマについて、ぼちぼち振り返って、
もう一度、熱い思いを取り返したい。この酷暑の中で。

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