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父の背中

身体が大きく、陽気に酒を飲み続ける父の背中を眺めていた。父の特技は、お酒を飲むこと。飲んでも飲んでも、平気な顔でいつだって楽しそうだった。

父に「しあわせとは、なにか?」と質問すると、少し神妙な顔で考えたあとに「家族と友達がいて、健康に酒を飲むこと」と言った。拍子抜けしてしまったけども、しあわせの足るを知る。

小学校の頃「お父さんとお母さん、身近な大人の仕事の話を聞いて、将来の自分の仕事を考えてみよう」という授業があった。

父方の祖父は、小学校教員で校長先生になり、地元で小学校づくりに携わっていたようで、家族には小さい頃から「教師になったら」と言われながら育った。祖父は、4歳のときに亡くなってしまったが、養護教員の伯母や祖母の背中は、教育者のそれだった。

父のきょうだいは、仲が良い。祖父の家訓は「きょうだい、なかよく」なのだとか。年老いた今でも、酒を飲み、きょうだいなかよく麻雀を打っている。

父は、ひととおり自分の仕事の話をしてくれたあとで、「だけど、絵と音楽が得意なんだから、ゆーいちかめいじおじさんにも話を聞いてみたらどうだ?」と言った。ゆーいちは、父の幼なじみの、近所に住んでいる友達のお父さんで、デザインという仕事をしているらしい。遊びにいくと家にいるときもあるし、みんなでバーベキューをするけれど、ちょっと近寄りがたい雰囲気があって話を聞くのは勇気がいる。だいたいにして、会うときは父とお酒を飲んでいて酔っ払っている。めいじおじさんは、父の兄でギターを弾く仕事をしているらしく、お店をやっている。つかみどころが子ども心によくわからず、やっぱりちょっと話しかけづらい。かわいがってくれる気のいいおじさんたちだったが、ふたりともなんとなく近寄りがたい空気がある。彼らに「仕事の話を聞いてみよう」と思えるようになるのは、大人の会話が少しだけできる年齢になってからだ。

子どもだったわたしは、背中を見ることから始めることにした。あらためて、その背中を意識してみる。古いセピア色の三人が映った写真を思い出す。ああ、幼い頃に父が眺めたヤンチャな兄たちの背中だ、と思った。

そんなことを今更ふいうちのようにおもいだすようになったのは、「家族にアートやデザインの仕事をしているひとはいるの?」と聞かれるときに、誰かそういう人いたっけ?と考える機会があって、ゆっくりと記憶のページをめくってみたからだった。

絵の仕事をしたいと決めたときはデザインのことがよくわからなかったし、「就職するなら、ゆーいちの事務所で面倒をみてくれるかもしれないから、相談してみようか?」と言われても、「家族のコネは、他の人に申し訳ないし自分でなんとかするから、大丈夫。」と聞く耳を持たなかったので、すっかり忘れていたけれど、デザインの仕事をしている人の背中を幼い頃に眺めていた。製図板やCMの撮影、プロデュースしているラーメンを食べに行ったり。

自分なんてものは、いつだっていつかの誰かの影響から形成されているのだな、と恥ずかしい気持ちになった瞬間。

幼馴染みたちにはしばらく会えていないけれども、巡りめぐってなぜか今、その幼馴染みの従兄弟とご近所で暮らしていて、一緒に仕事の話をしたり、ごはんをワイワイ食べたりする。偶然もあるものだと不思議な気持ちになってしまう。

子ども時代の記憶がふと蘇って、幼い頃に通っていた「近所のおうち」が姿を変えて存在しているような気持ちになってしまうのだ。父たちが行き来をしていた時代から、50年、60年と時間が流れて、巡りめぐって全く違う土地と人の関係性のなかで、ご近所づきあいをしているのも不思議な感じがするものである。

むかし、大人たちが集まってお酒を飲み、一緒にごはんを食べていたころの懐かしい記憶に連れ戻される。子ども時代のしあわせと呼ぶにはちょうどいい温度をまるで体温のように疑っていなかったころの、記憶がそこにはあった。



photo by inaba keita

銭湯へ行ってきます