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【団塊ジュニアの限界日記】2月26日(月)

朝から明るめのくもりで、昼頃からとてもいいお天気。青い空に、丸っこい綿菓子のような雲がきれいに並んでいる。

3連休明けなので、やっと平日だーという解放された気分でもあり、今週は夫の長めの出張と私の大きな仕事(複数)があるので、気持ちが重い部分もあったり。

仕事の資料の映像を見てさまざま確認。

いつも思うんだけど、うちのブルーレイデッキのリモコンは、効きがよくない。これは初期不良なのか、それともこういう仕様なのか、と思っているけれど、どうしようもないので、そのまま使っている。こういうことって、人生のなかにいろいろある。

昼にはテレカン。
重めの仕事の確認打合せ。この打合せによって、ちょっと気になって心のなかに沈殿していた、でも見ないふりをすることもできるようなことが、かなりクリアにされた。とても心地がいい。
この機会を作ってくれた、仕事先の人に本当に感謝。
ブルーレイデッキのリモコンはいまもまだ私の心に沈殿した気持ちを残しているけれど、仕事では沈殿物は消えた。嬉しい。こうありたい。

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今年のお正月、実家に帰ったところ、母とはもう全然話が合わなくなっていた。
もともと昔から、母に対して、あれ?と思うこともあったけれど、おしなべて仲良くすごしていたはずだった。
だが、耳が聞こえづらくなったところから始まって(耳のせいなのか、それとも単に時期が重なっただけなのかはわからない)、私の話が聞こえなくても理解できなくても、「うん、うん」と適度に流すようになっていって……。

相槌のタイミングがおかしかったりもした。
たとえば、「Aちゃんがレストランに行ってね、それで」と言ったところで「えっ!そうなんだね」と驚いた&私の話が終わったかのような相槌を打ったり。
「まだ、今、話の途中だから、その相槌おかしいよ」と言っても、「はいはい」という感じで流されて。

そういう時期を経て、今は年を取ったことで自分に自信もなくなった部分も出てきたのか、でもそうは見せたくないようで、変な去勢をはったり。
家族だし、そんな見栄を張らなくてもいいのに、と思うのだけど。

そんなこんなで、帰省最終日にはなんの話だったかものすごく嫌なムードになっていました。
そんな折、実家のはさみがとても切れ味悪しだったので、100均に行ったついでに新しいはさみを買い、母に渡そうとしました。
すると、「いらないよ、そんなもの」と。
いやいや、親切でやっていることだし、はさみ、切れた方がいいでしょ、と思ったけど、「そうですか、じゃあ、いいです、持って帰ります」とバッグに入れました。
「ありがとう、って受け取ればいいのに」と言ったところ、ものすごくきつい顔でこちらを見ています。

これって、もしかして、認知症のスタート、って感じでしょうか。
お皿に出した調味料(ちょっとこれを明記すると実家の地域がわかっちゃうのでぼやかしますが、生ものです)にラップをして食器棚にしまっていました。
あと、「このお皿、5枚セットなんだけど、どうしても1枚しかないの」と言われたので食器棚を見ると、すぐに見つかりました。結構見つけやすい場所にあって……。

認知症になると怒りっぽくなるというし。

時間がないので、続きはまた今度。
それにしても、悩ましい。

大好きだったときもある母だけど、もう今は全然好きではない。残念だけれど。
こうなってみると、子ども時代のあれこれ、大人になってからのあれこれなど、母の許せない言動が思い起こされてきたりします。

青木さやかさんの『母』という本を読んでみようと思います。


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