子どもにひたすら愛情を注ごう

これは、ものすごい個人的な実体験から来ていることだけれど、子育てをしている、またはこれからする、というお母さんだけじゃなく、お父さんもぜひ読んでください。とにかく子どもには愛情をひたすらひたすらに注ぎ続けてほしい。それがおいちゃんの願いで、子どもを大きく育てるうえで大切なことなんです。



子どもから


もう飽きた

いらない

きもい

うざい

結構です

わかったから

勘弁して

しつこい

また?

もういいよ

はいはい、わかったわかった

やめてくれぇ



どんな言葉を子どもから浴びせられようとかまわない。

逆にこんな言葉を浴びせられれば成功だと思います。

とにもかくにも

この親はわたしのことを愛して愛してやまないんだなまったくもぅ

と子どもに心の底から実感させること・させ続けることが大切です。




おいちゃん自身の母親は、そういったことが非常に下手でした。

今は冷静にそう言えるけれど、子どものころは死活問題だったんです。

「あんたは橋の下から拾って来た、わたしの子じゃないんだ」

なんて笑いながら言われたこともあります。


そしてそういう親の言葉や態度は毒のように心を蝕み続けるんです

いざなにかを頑張ろう、やりたい!と思ったとしても、どうしてもこんな思考になってしまうんです。

「ぼくは本当にやっていいのか?」

「迷惑をかけてしまうのでは?」

「へんなことを言ったら怒られる」

「やりたいことをやれるほど価値のある人間か、ぼくは」

「正直生きていていいのだろうか」



親からの愛情はその人が生きていく上での土台だ。

自分がそれを足場にして、踏ん張って、えいっ!と頑張らなきゃいけないとき、力を込めなきゃいけないとき、外に飛び出そうとするとき、その親からの愛情が土台になります。土台がしっかりしていればしているほど、くわえた力が足に伝わり、反発力を生み出し、外の世界に飛び出せるのです。高く遠くに跳べるのです。


反対に、親からの愛情という土台が不安定であれば、外の世界を羨ましく眺めることはあっても、どうしても強く踏み込んだら、その足場が崩れるのでは、という恐怖心からひたすら足場があることを確認する作業しかできなくなります。目線が下にしか行けなくなってしまいます。おいちゃんはとにかく、あらゆる物事について臆病に育ってしまいました。いろいろなことがどうせうまくいかないでしょ、という思考にどうしても辿り着いてしまうんです。失敗が怖くて仕方がないんです、今でも。


おいちゃん自身は、正直に言って、あぁ、本当の親子だったのか、と41歳になった今でもちょっと疑う自分がいます。大学生のときに留学をすることになり、パスポートをとるための書類を自分で取り寄せて、そこに実の子どもとわかるように書いてあり、「ああ、俺は本当の子なんだぁ」とはなんとなくはわかったものの、それまでの20年以上染みついている「自分は橋の下に捨てられた人間なんだ、不必要な人間なんだ」という思いの中で生きてきました。小さな子どものころに信じ込んでしまった思い込みは、完ぺきに消え去ることはないんです。


だからなのか、小学校の高学年ころから中学生、高校生くらいまで、いや、大学生でもかな。いやいや、母親に対しては今でもかもしれません。とにかく目上の人に逆らって、生活していました。普段でかい態度で偉そうにいるくせに、先生や先輩に怒られて殴られて、クラスメイトの前で大泣きをして、女子に呆れられて、なんていうとにかくうざがられていたであろう、子どもでした。そうでもしないと自分の存在意義が見つけられなかったんです。とにかく素直じゃない。ひねくれている。人と違う、それを何とか見出さないと生きていられない。そういう強迫観念で生きている。それは今でも同じです。だから、もしかしたらこんな記事を書いて消化しようとしているのかもしれない。おいちゃんに付き合っていただき本当にありがとうございます。




じゃぁ、親として具体的にどう子どもに愛情を注げばいいのか。


それはね、まずはとにかく声にして伝えること行動で示すこと。思っているんだから、なんて伝わってないから。100%ないです。親子であってもテレパシーなんてないでしょ。あなたの親の考えていることが頭に直接伝わってくる、なんてことはなかったでしょ。だからこそ声にしなくちゃいけない。自分が親から言ってほしかった言葉、してほしかった態度や行動を。


ここからはおいちゃんの具体例を少し。

(家ではおとう、またはおとうさんと呼ばれてます)

言葉編

おとうはあなたが大好きだよ。

お前はかわいい息子だよ。

本当に尊敬できるわ。

生まれてきてくれて本当にありがとう。

きみはおとう以上の人間だよ。

おとうよりすごい人間になれるよ。

かわいくてかわいくてたまらんなぁ。

かっこいいねぇ、かわいいねぇ。

おとうが愛しているの知ってる?(これは、「え?伝わってない?じゃぁ、まだ足りないのか」と言って、むりやりぎゅ~として、「もう知ってるから、十分伝わってるからもうやめてぇ~」という悲鳴に似た言葉を引き出すために言う)



行動編

とにかく抱きしめる。

頭をなでる。

こちょこちょする。

いとおしそうになでなでする。

ほっぺにチューする。

手をつなぐ。

腕を組む。

抱きしめる。

目を見て話す。

感謝を伝えるときはちゃんと頭を下げる。



親がこれらを恥ずかしがることなくやってください。心の底から愛してる。そう思ってやれると思います。そうすることで子どもも当たり前のこととして受け止めてくれるようになると思います。


子どもが踏ん張るための親の愛情という土台は、親がぺちぺちぺちぺち叩いて作り上げていく必要があります。いつかこの土台から飛び出してしまう日が来ますが、その日まで、ずっとず~っと、土台ですから、子どもには足蹴にされ、踏んづけられ、形が変わったり、何度も崩れ落ちそうになったりなります。だから、その都度、またぺちぺち叩いて土台を固めていかなければいけないんです。それが上に書いた言葉を伝えることであったり、行動を実際にすることであったりします。その土台を当たり前にあるものだと子どもが思えば、それは成功なんですが、感謝もされません。当たり前だから。でも、それでいいんです。


おいちゃんは、自分の母親と大人になってから子どものころに言われたことについて話したこともあるけれど、「そんなつもりはなかった」「あんまり覚えてない」そういわれました。でもね、子どもは覚えてるの。

当然大学に行かせてもらったり、予備校に行かせてもらったり、今では孫を大切にしてくれたり、とても感謝している部分はあります。尊敬できる部分もすごくあります。でもね、やっぱり自分が上に、前に進めそうなときに自信のなさから日和ってしまったたくさんの経験を思い出すと、「あのとき思い切って飛び込んでいれば、もっと世界が変わったんだろうな」と幻想を抱くおいちゃんがいるのも事実なんです。そしてそれはもうおいちゃんの人生ではとりかえせないんです。



だから、お願いです。

子どもには、言葉でも、行動でも、愛情を伝えてください。そして、愛情を伝えることをとにかく続けてください。それこそ、子どもがもういいから、わかったから、なんて心の底から思える時まで。できれば、おいちゃんみたいにさみしい、さみしい、ということを布団の中でかみしめながら眠るような子どもがいなくなることを本気で願っています。そして読んでくれたみなさんのお子さんが、「親に愛されちゃってるんだぁ」なんて誰が見てもわかるくらい、にこにこして、甘い雰囲気を出してくれると嬉しいです。

そうすると、お子さんがそのしっかりした土台を踏みしめて、大きく高く羽ばたく人間になれる日が来るはずです。



最後に。

こういうことをやってほしい、やったら子どもが前向きに上向きに頑張る人間に育つよ、と断言できますが、親として感情的になってしまったり、思い通りにいかなくてイライラしたり、つい邪険に扱ってしまったり。そういうこともあると思います。仕方ありません。しょうがないです。(体罰とか虐待はだめですよ、絶対!)だって子どもって思い通りにならないですもん。

でも自分を責めないでください。自分自身にも愛情を注いでください。感情的になるのは、それだけ子どもと本気で一生懸命向き合っているってことですし、子どもの年齢=親としての年齢なんです。うまくいかなかったな、と思うことはしょっちゅうです。うまくいったと思うことのほうが少ないです。そんなときは、ちゃんと謝ればいいんです。親であっても。こういうことを伝えたかったけど、こういうことがあってうまくやれなかった、ごめんなさいって。普段親は愛情を注いでくれている、ときっちり子どもに伝わっていれば、子どもはしっかりわかってくれます。

親である自分に自信を持ってください。少なくとも、あなたはおいちゃんよりも熱心で頑張り屋の親ですよ。



最後の最後に。

ちなみにごめんなさいですが、わたしに娘はおりません。だからお父さんが娘に同じようなことを言ったりしたりした時に、どんなことになるかは、責任を持ちかねますので、悪しからず(笑)






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