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愛すべきバカ野郎ども

小学校高学年にもなると体がデカくなるのに比例してこぞって態度もイキり始めるもので。
自分も成長と共に食べる量が増えるのに運動機能は低下するというミスマッチが生じ、横におっきくなる(病気よりこっちがコンプレックスとなる)
教室は1Fでも2F3Fでの授業も増えてその度に母を呼ぶのにもキリがなくなり、パワーのある男子5~6人ぐらいで車椅子ごと階段をお神輿わっしょいするイベントが生まれる。
そんな精鋭を揃えた結果(散々やってもらっておいてこう言うのもアレだが)非常にアホな連中がクラスに集まってしまったのではないかとも今になると考察できる。
ただ、選ばれし者たちだけに課されたミッションというところで得意気になっていたとの証言も大人になってからある1人から得ている。

自分にとって初めての男の担任ということで、いざという時にフィジカル的に頼れるところはあった。
優しい先生でちょっと抜けたところもあって、すぐにこの人は大丈夫だと判断するとイジり倒すようになり、怒られてもヘラヘラしてるのを自分も一緒に笑って見ていた。
ある日、先生が休み時間のヒマ潰しにと将棋盤を持って来てくれたのだが、何故か空前の将棋ブームが巻き起こる。
本来の目的など忘れ去られ、気づけば自分を抜いて床で指し始めて「平等だからこれでいいんだ」とふざけたことをぬかすヤツが現れた。
ソイツには車椅子を蹴られたり意地悪されたけど、普通に女の子にも感じ悪いことをしていたのでイジメとは思わなかったし、優遇されるのを快く思わない人間もいるんだなというのを学んた。

子供のうちは短いスパンで車椅子を作り変えることになるのだが、2代目の時はみんなおニューだとハシャいでくれたのに3代目の時は反応が薄く『俺、飽きられたのかな…』と寂しく思ったことがある。
でも誰も助けてくれなくなったとか遊んでくれなくなったとかそういう訳ではなかったので、特別ではなくて当たり前の存在に溶け込んだだけだったのかもしれない。
小学生の小さな世界とはいえ、女の子もみんな優しかったし、当たり前に助け合うある種の1つの社会が成り立っていたように思う。

宿泊研修には父、修学旅行には両親か同伴という形で参加した。
キャンプファイヤーでアホなグループがコントをやっていたのと教頭先生の自虐ネタが衝撃的だったのが忘れられない。
それ以上の最大のハイライトが翌日に動物園に立ち寄った時の話で、普通に友達に押されながら回っていて、唾を噴き散らすチンパンジーに狙われた瞬間みんな逃げて残された自分がガッツリ浴びた事件。
でも「置いて行きやがってふざけんな!」とはならずみんなで大爆笑…全く頭にこなかったのは誰も自分を見捨てた訳じゃないと思える信頼関係があったからだと思う。
修学旅行は班決めの日に休んだので正直よく分からないメンバーになったけど、八木山ベニーランドでハシャぐみんなを『このクラスで来れてよかったなー』と眺めていた記憶。

もし本格的なイジメに遭ったり遊び相手がいなくなって孤立していたら途中でドロップアウトしていたかもしれない。
放課後に遊ぶ約束をしていた友達が母がなかなか迎えに来ないのを見かねて、「じゃあ俺が送って行くわ」と一緒に帰ったこともあった。
自分自身も色んな友達の家に遊びに行ったし、卒業式前後の期間は毎日のように家に7人ぐらいで集合してゲームをしまくった(自分がパワプロ最強すぎた)
確かカラオケとか焼肉にも行ったし、自分ともう1人が違う学校に行くことが決まっていたので、最後の時間を大いに楽しんだ。
家族、先生、友達とその親御さんたちのサポートを受けて6年間を全うできたことには大きな意味があったし、学校に残せたものも色々あったように思う。

みんながバカで最高だった。


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