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#87 社会問題としての小論文教育⑯

 今日は学校現場と教材を販売している出版社との関係についてお話しします。当然のことではありますが、学校の先生は「教える」ことが仕事で、教材を「作る」ことは仕事ではありません。勿論、授業を進行していく上でのプリントやテストを作ることはあります。また、なかには学校独自の教材やテキストを制作されている先生方もいらっしゃいます。ほかにもご自身の著作を出版されている先生方もいらっしゃるでしょう。しかし、教科書そのものやテキストそのものを作ることはあまりありません。いたとしても、それは全体の中のごく少数です。教材を作るのは原則として出版社です。先生と出版社には「教える」と「作る」との、それぞれの役割分担があるのです。
 
 至極当然な話ですが、教育業界ではやはり「教える」ことに主軸を置きがちです。ですので、教材を「作る」出版業界のことまで考える人々はあまり多くありません。当然のことながら、世の中には良い先生と悪い先生がいるように、教材にも良し悪しが存在します。
 
 では、小論文に関する教材はどうなっているのでしょう? 小論文の教材は年々需要が高まっています。しかし、そこには、ある種の構造的な問題が存在します。今日はそういった学校現場と出版社との解決困難な問題についてお話しします。

(6)学校現場に合わない市販の小論文教材

 小論文実践がうまくいかない原因の1つに、市販の小論文教材と実際の学校現場(生徒)とのミスマッチの状況を挙げることができます。というのも、市販の小論文教材は様々な前提の上に成り立っているからです。例えば、市販の小論文教材の中には「適切に日本語文法を使える」ことが前提となっているものや、「自分の中に意見がある」ことが前提となっているものがあります。けれども、実際の学校現場には、適切に日本語文法を使えない生徒や、自分の中に意見などない生徒はざらにいます。そのため、たとえ良い教材であったとしても、その前提の部分で生徒に合わない教材があります。
 
 また市販の小論文教材は大半のものが1冊にまとめられています。そのため、出版物としての整合性はありますが、実際の学校現場(生徒)が求めているような細部へのケアが行き届いていないものもあります。具体的に言うと、上記した様々な前提の上で作成されているものや、細部への指導を割愛しているものなどです。もしくはその逆に、問題や解説を詳細に組み込み過ぎて消化しきれないようなものあります。もしくは詳細な問題や解説が多過ぎて、小論文の実践的な問題が少なかったりする場合もあります。あるいは解説が詳細過ぎてどこから手を付けて良いかわかりにくいものもあります。しかし、生徒は必要以上の細かな学習や練習はしていられません。なぜなら、生徒は通常の授業や学内での様々な営みがある中で学習するためです。
 
 要するに、市販の小論文教材には様々な形で「過不足」があるのです。これは出版する際の経費と利潤が絡んでいるためです。具体的に言うと、出版社はまずテキストの整合性をつけるために、あらゆる内容を1冊に盛り込みます。そうすると、1つ1つの項目をコンパクトにせざるを得ず、結果として細部へのケアが行き届いていないものが出来上がります。もしくは様々なパターンの問題を盛り込むことで、広範囲なテキストが出来上がります。が、そういったものは個々の生徒の要求にピンポイントには応えてくれません。しかし、利潤を上げるためには、体裁は「コンパクト」で「整合性」があり、かつ「広範囲」に及ぶテキストのほうが望ましい(そのほうが売れる)わけです。そのような事情から学校現場(生徒)とのミスマッチが生じます。「現実的」に妥当性のあるテキストの作成は利潤が絡むと難しいわけです。
 
 そして本当に問題なのは生徒も教員もそのような「ミスマッチ」すなわち「過不足がある」という事実を認知できていない点にあります。認知していないために、現場に適した対応が遅れます。それが小論文の上達を阻む1つの要因です。いわば、スポーツ(例えばサッカーなど)をやる上で自分に合ったシューズを使用していないような状態です。シューズのサイズやフォルムが合っていないようなものです。
 
 しかし、本当に問題なのは、教員が「何が合うのか」的確に理解できていない点にあります。これは研究ノート①と⑬で詳しく述べたところではありますが、構造的な問題です。いわば、メタ分析的な思考を必要とする問題です。生徒/教員/教材/出版社の事情を俯瞰的に分析する能力が必要となります。
 
 その能力を持つためには、教員自身が出版社側に回ってみる必要があります。すなわち、「教える」側から「作る」側へポジションチェンジしてみることです。しかし、それは現実的ではありません。研究ノート⑮で詳しくお話ししましたが、教員には余裕がありません。教材を「作る」ことができるだけの知力と体力の双方を兼ね備えた教員はごくわずかでしょう。二足の草鞋を履ける人材はかなり稀です。だから、小論文実践は教材がミスマッチのまま進んでしまうケースも多いのです。

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 皆様、いかがだったでしょうか。言われてみたら当たり前な話かもしれません。が、しかし、逆に言うと、言われてみないと気が付かない問題ではなかったかと思います。小論文を巡る社会問題は様々な観点から根が深いと言えます。
 
 次回は小論文指導における指導方法の功罪についてお話しします。いわば、良い指導と悪い指導に関する話です。そして、なぜ悪い指導が存在するのか、考えていきます。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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