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#73 社会問題としての小論文教育②

 今日は小論文教育においてはかなり〈ベタ〉なお話をします。「小論文」と「作文」との違いです。読者の皆様も「作文」は書いてきたはずです。もしかしたら「小論文」も書いたことがある、という人もいるかもしれません。しかし、経験しようとしまいと、2つの〈違い〉を明確に理解している人は少ないと思います。実は学校の先生たちも(国語の先生も含めて)この〈違い〉を明確に言語化できる人は少ないです。
 
 なぜ言語化できないのでしょう? それは日本の識字率がなまじ高いからです。現代の日本人の多くは読み書きができます。そのため、小論文も作文もどちらも共通して文章を「書く」ものと理解しています。そう理解しておいても日常生活で困ることはありません。
 
 しかし、受験において小論文を必要としている学生や社会人となるとそうもいきません。この〈違い〉を明確に理解して意識しておいたほうが良いはずです。少なくとも意識したほうが合格を勝ち取る確率や可能性は上がります。
 
 普段は気にしない(気に留める必要もない)問いを読者の皆様もちょっと考えてみて下さい。学校の先生もしくは生徒になったつもりで想像して読んでみてください。

(1)執筆内容の方向性の違い。

 小論文では基本的に高校教育外の、もしくは高校教育を越えた知識・知性・感性が問われます。例えば、現代社会の問題や専門的な知識、独特な感性などです。一方で、作文は「現在の自己」について問われます。例えば、自分の感情や気持ち、体験などです。ほかには自分の活動や趣味、興味、関心など。したがって、書かれる内容の方向性が自分の「外」であれば「小論文」となり、「内」であれ「作文」となります。
 
 ただし、これはあくまでも基本的な方向性に過ぎず、実際の境界は極めて曖昧な位置にあります。なかには、文学部や芸術学部などでは、自分の「外」に向かわない小論文を課す場合があります。
 
 ただし、小論文は様々な制約があることから、作文の性質を内在させている場合が多いです。正確に言うと、「現在の自己」の問題から出発し、それを乗り越える形で自己の「外」(その大半は「社会」の問題)を論じる展開(スタイル)が多いです。

(2)執筆状況の違い。

 小論文には「時間制限」「字数制限」などの様々な制約があります。なかでも1番困難な制約は「直前まで課題内容(執筆テーマ)が不明瞭」という点です。しかし、作文は違います。例えば、学校の授業中の課題や宿題として課される作文と比較するとよくわかるはずです。勿論、受験小論文・入試小論文でもあらかじめ課題内容が開示されている場合もあります。もしくはそれに近い形で傾向が明らかな場合もあります。が、そういった場合は非常に稀です。簡単にまとめると、「即興性」の有無が小論文と作文の違いと言えます。ただし、これはあくまでも原則であり、実際のところはそうでない場合もあります。

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 皆様、いかがだったでしょうか。以上が「小論文」と「作文」との違いです。自己の「内」側に向くか「外」側に向くかの違いです。言われてみれば、簡単な区分けではありますが、これを意識しているのとしていないのとでは、最終的な原稿のクオリティが変わります。共に文章を「書く」行為ではありますが、大切なのは「書く」だけではない、ということです。
 
 次回は学校現場において求めらる「小論文の指導」のイメージについて少しお話しします。いわば、イメージと現実との違いについてのお話です。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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