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#83 社会問題としての小論文教育⑫

 今日は学校現場で小論文を指導する上での、思わぬ落とし穴についてお話しします。それは教師の「日本語」についての理解です。
 
 おそらく読者の皆様の9割以上は日本語を読むことができるし、書くこともできます。それは日本の義務教育のおけげです。しかし、30人近くの子どもたち(1クラスの分の人数)を前にして「お手本」となるような文章は書けるでしょうか? 論理的で適切な日本語というものを800字程度で、まとまった形で書くことはできますか? おそらくその自信はない、とお感じになる方もいらっしゃると思います。要するに、日本人による日本語の言語運用能力とは、そういうものなのです。
 
 しかし、学校現場の先生たちは思いのほか、その単純な事実を把握されていない方が多いです。そうすると、生徒への指導に〈ズレ〉が生じます。そしてそのズレが悪循環を生みます。
 
 一見すると、簡単な問題なのですが、その改善は思いのほか難しい。今日はそういった落とし穴のような学校現場における「日本語」を巡る問題についてお話しします。

(2)日本語文法と文体学習の軽視

 小論文の指導観点は合計5点あります。①読解指導 ②文体指導 ③形式指導 ④構成指導 ⑤内容指導。本当はまだありますが、便宜上区分するならひとまずこの5点にまとめられます。その中で最も軽視されているのが②の文体指導です。なぜか。それは「現代の日本語であれば的確に使えて当たり前」という意識=偏見が教員の中にあるからです。そのため論文に適した文体を構築する重要性とその難しさが生徒に伝わりません。例えば、以下のような一文はいかがでしょうか。

(例1)
 彼の趣味は山に登ることが好きだ。

これは主語に対して述語が不適切となっている一文です。正しくは以下の通りです。

(答え)
 彼の趣味は山に登ることだ。
 彼は山に登ることが好きだ。

簡単な問題です。しかし、次のような一文はいかがでしょうか。

(例2)
「豚に真珠」ということわざが表しているのは、どんなに高価なものでもその価値を知らないものには何のありがたみもないということをたとえている。

内容としては理解できる一文です。しかし、日本語が適切ではありません。正しくは以下の通りです。

(答え)
「豚に真珠」ということわざは、どんなに高価なものでもその価値を知らないものには何のありがたみもないということをたとえている。
「豚に真珠」ということわざが表しているのは、どんなに高価なものでもその価値を知らないものには何のありがたみもないということである。

 読者の皆様は「まともな高校生であればこんな間違いはしないよ」とお考えになるかもしれません。しかし、文章を書き慣れていない学生であれば、この程度のミスはよくあります。ですので、論理的に文章を書くためには、ある程度の文体指導が必要です。そのためには、指導の必要性の意識がまず教師の中になければなりません。しかし、すでに指摘した通り、思いのほか教師の中にその意識はありません。そうすると、生徒の中にも改善・向上の意識が生まれません。そうすると、いつまで経っても文章力は身に付きません。そればかりか、生徒はいつまで経っても書きづらく、教員はいつまで経っても読みづらいという悪循環さえ生じます。
 
 これは、ある意味での「日本語の軽視」です。「これくらいできるだろう」という楽観的な意識がこのような問題を生じさせています。
 
 そのため生徒が小論文を執筆する前には、教員は最低限以下の3点を指導・注意すべきです。これらの点を守ることで主語と述語のズレはだいぶ軽減されます。
 
・1文はできる限り短く書く。(1文が60字を超すと長い。)
・1文を書いたら必ずその1文を読み返して(問題ないかどうか確かめて)から、次の1文を書く。
・文末の表現はできる限りシンプルに書く。
 
 特に難しい指導ではありません。しかし、学校現場にはこの指導や注意ができる先生が思いのほか少ない。たとえ国語の先生であろうとも、この指導をする人は少ないです。
 
 現代では、時代の趨勢により、小論文を執筆する機会が増えていたり、意見を発信したりする機会が増えています。適切な指導がなされなければ、学生だけでなく教師も苦しみます。ですので、今回お話しした内容は、未来を見据えると思いのほか深刻な問題のはずです。

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 皆様、いかがだったでしょうか。私はこの問題を学校現場における思わぬ落とし穴と考えています。生徒が落とし穴に落ちたら教師が救わなければなりません。そうすると、結果として生徒/教師の双方に負担が増します。そのため、大切なのは、そもそも落とし穴に落ちないことです。そういう指導が求められるのですが、現実はなかなか思うようにいきません……。
 
 次回は小論文指導の「原理的な困難さ」についてお話しします。それは、先生側に原因がある指導の構造的な困難さについての話です。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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