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#78 社会問題としての小論文教育⑦

 今日は小論文が普及した歴史について簡単にお話しします。おそらく読者の皆様は(とりあえずここでは30代以上の大人を想定しています)、高校生の頃は小論文を授業で経験していない方も多いはずです。少なくとも私は経験していません。しかし、現在では多くの高校生が何らかの形で小論文を書いています。
 
 それはなぜか? 答えは時代が変わったからです。では、どう変わったのか? それを今日はお話しします。
 
 時代は変わり、社会は複雑化しました。その変化と複雑化が良いものか悪いものかはひとまず置くとして、そうすると、当然教育も変化し複雑化したわけです。それがわかりやすく表れているのが実は小論文教育です。今日は時代を考えることで、現在の高校生が向き合っている「知のあり方」について考えていきましょう。

[1960年]

 推薦入試でよく出題される小論文試験ですが、これは1960年頃に学力以外の人間性を評価する目的で大学受験に導入されました。が、それが本格的に実施されるようになったのは、マークシート方式(選択肢を選ぶ形式)の試験が導入されてからです。マークシート方式は採点の労力を軽減させる点で極めて画期的な試験方法でした。1979年には国立大学受験のための共通一次試験に導入され、1990年にはそれがセンター入試へ変わります。けれども、その一方で選択肢を選ぶだけの受動的な姿勢に対して、学生の記述力・発信力・能動性の低下が心配されました。そこで、小論文試験が様々な大学で実施されるようになりました。いわば、小論文試験はマークシート方式の反動として広く取り入れられたのです。そして、この風潮がのちのAO入試普及の土台になります。AO入試はセンター入試が制定された同じ年の1990年に、慶應義塾大学(SFC)で初めて実施されました。ただし、90年代当時のAO入試は非常にマイナーな入試で、やはりメジャーなものはセンター入試を含む一般入試でした。が、しかし、時代が進むにつれてAO入試ならびに小論文試験は徐々に活性化・多様化していきます。

[1990年]

 それはなぜか。そこには様々な事情がありますが、1つには時代による社会の変化が関係しています。AO入試が実施された1990年の日本は、バブル経済崩壊の時期でした。また世界的な視野でみるならば、1990年はベルリンの壁が崩壊した直後で、グローバル化が様々な形で流動し始めた時期でした。そこから、日本社会には格差構造や人口減少など、様々な問題が発生し始めました。その影響で人々には「これからの個人の生き方」が強く問われるようになりました。具体的に言えば、個人の自由や可能性が広がると同時に、その一方で個人には自己責任能力とそのほか様々な能力が求められるようになったのです。それは、一般的な学力だけでない、人間性などを含めた本当に多様な能力です。それらの有無を審査する方法として、AO入試ならびに小論文試験は非常に適したものでした。そのような社会と個人の在り様の変化が、AO入試を普及させた要因の1つと言えるでしょう。

[まとめ]

 ビジネスの業界では「個の力」というワードがよく聞かれますが、それは教育の分野においても当てはまるものなのです。それは「生きる力」という言葉に代表される、情操教育的な個性を育む教育とは少し違います。どちらかと言うと、社会の産業構造の変化によって要請された、時代的な必然と捉えるべき事態です。
 
 「これからの未来においてあなたはどう生きていくのか?」
 
 会社でもない、組織でもない、あなた個人の未来と生き方が強く問われる時代。前時代と比べると、相対的に「これからの個人の生き方」が強く問われる時代。その要請に応えるのに適した入試がAO入試でした。そこで、実施されたのが小論文という課題でした。これが、小論文が普及した経緯です。

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 皆様、いかがだったでしょうか。このような時代的な背景を知ると、現代の高校生が直面している「知のあり方」がいかに複雑なものなのかがわかります。
 
 次回は小論文を書く時の大事な「姿勢」についてお話しします。抽象的な話になりますが、今回論じた時代背景を踏まえて、小論文の本質に迫っていきたいと思います。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

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