見出し画像

#88 社会問題としての小論文教育⑰

 今日は小論文指導における指導方法の功罪についてお話しします。論理的な文章を書けるようになるためには様々な努力と工夫が必要です。そのため、一朝一夕に上達することはありません。どれほど優秀な学生でも「論理的に書く」ことは簡単ではありません。「論理的に読む」ことはできても、それと同じ速度で「論理的に書く」という行為が上達することはありません。そのため、上達するためには誰もが苦労を要します。
 
 しかし、人間の多くは苦労を厭います。できるだけ苦労したくない。これが多くの学生の本音です。また、指導をする先生方もできるだけ短い時間と少ない労力で指導を済ませたい、と考えています。それが本音です。しかし、現実は違います。「論理的に書く」ことを実現するためには生徒も先生も「忍耐と苦労」(努力と工夫)が必要です。
 
 しかし、だからこそ出版社は人々の本音に応えようとします。学生にも先生にも楽をさせようとします。なぜなら、そのほうが売り上げがあがるからです。しかし、そこにはやはり良し悪しの「功罪」が存在します。これは議論の余地がある良し悪しであり功罪です。そのような意味で、出版社の出す小論文教材を巡る問題は社会問題と言えます。今日はそういった学校現場と出版社との指導方法に関するお話をします。

(7)市販の小論文教材による功罪

 現在様々な小論文に関する出版物があり、そのおかげで小論文実践は生徒・教員双方にとってやりやすいものとなっています。が、その一方で様々な問題も起きています。

(A)ネタ本によるコピペ的小論文の量産。

 テーマに沿った現代社会の問題やその情報を収集した出版物、通称「ネタ本」は現在様々な出版社から輩出されています。目的は生徒が事前に知識を持っておくことで、臨機応変に深く現代社会について論じられるようにするためです。けれども、これはむしろ逆の事態を引き起こしています。生徒は書くべき「ネタ」があることで、それに依存します。ネタを「コピペ」し、本来行うべき「知的格闘」をしなくなります。自分の頭で考える、という作業をしない「思考停止」の事態を引き起こします。なお、このような原稿は十中八九採点者に見抜かれます。特に毎年採点しているような試験官や採点者には必ず見抜かれます。なぜなら、それだけ現在ではネタ本依存のコピペ的な小論文が量産されているからです。

(B)「賛成/反対」「たしかに/しかし」を用いたワンパターンな二項対立型小論文の量産。

 有名な小論文の参考書には以下のような助言が書かれています。「課題(文)を賛成か反対かの枠組みにはめ込み、反論を考慮しながら自身の意見の根拠を論じれば小論文になる。」書き方のわからない生徒にとっては非常にわかりやすく、書きやすい方法です。また教員にとっても指導しやすい枠組みと方法です。しかし、原理的に言って、これには限界があります。なぜなら、全ての課題(文)が問題の「是非」(賛成/反対)を問うものではないからです。むしろ割合としては「是非」を問う課題(文)のほうが少ないです。ゆえに何でもかんでも「賛成/反対」の二項対立の枠組みにはめ込んで思考するのには論理的に無理があります。しかし、そのわかりやすさ、やりやすさから「賛成/反対」の二項対立の方法論は1つの「流行」と化しています。
 
 またそれと併せて「たしかに/しかし」「勿論/けれども」といった譲歩と逆接の慣用表現も、非常に多く用いられています。これは「賛成/反対」の二項対立の型と非常に親和性が高いものです。ゆえに「合わせ技」としてはかなり有効な手段と言えます。
 
 しかし、現在ではこれらの方法が流行し過ぎて、採点者には「ありきたり」「ワンパターン」という印象を与えています。むしろ独創性の欠如や思考停止の様子とも受け取られかねません。少なくとも「書き方」について自分で考えるという「知的格闘」がないのは明らかです。

[まとめ]

 以上の(A)(B)のような参考書や出版物は功罪両面があります。しかし、私見を述べれば「罪」のほうが大きいように感じます。なぜなら、小論文の本質論ではないからです。表層的な解法というか、上っ面だけを整えるような方法論です。
 
 しかし、「罪」は出版社や参考書の執筆者だけにあるとは思いません。出版社や執筆者が読者のニーズに応えることは当然の行為であり、利潤を求めるのも当然の行為だからです。要するに、本質を追究する苦労を厭う生徒と、そして学校現場の教員のほうに問題があります。さらには、そういった上っ面な部分だけを綺麗にした小論文にも、合格を与えてしまうような大学が存在するのも、同様に問題です(大体このような大学や学部は定員割れを起こしています)。
 
 例えて言うと、健康を害したとしても、簡単で手軽なインタスタント食品やレトルト食品を食べ続けているようなものです。しかし、インタスタント食品やレトルト食品そのものに罪があるわけではありません。時にはインタスタント食品やレトルト食品を食べるのも良いでしょう。しかし、それが常態化し、それが当たり前といった文化が出来上がることは問題です。市販の小論文教材には、このような危惧が見て取れます。
 
 大切なのは人々の意識の持ち方です。生徒と教員の双方が、覚悟を決めて地道に努力をするだけです。それ以外に上達への近道はありません。しかし、現実はそうもいきません。楽な方向へ流される生徒と教師は数多くいます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 皆様、いかがだったでしょうか。教育現場(学校)と教育業界(産業)との関係についての話でもありました。それはある意味で需要と供給の関係でもあります。個人的にはあまり良い関係には見えませんが……。
 
 次回は小論文における、いわばタブー(禁忌)についてお話しします。具体的に言うと、「代筆」の問題です。ここには学校社会の闇や暗部が見え隠れします。ご興味ございましたら、是非お読み下さい。では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?