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世界の色がガラリと変わったようだった

私の小さなソーシャルアクション。

今日は子どもたちからカミングアウトを聴いたあと、私の中でどんなことが起きたのか?について書いてみようと思う。

衝撃や動揺はもちろんあった。
恐らく人生の中でも五本の指に入ると思う。
今でも手紙を読んだ時の気持ちは、ありありと思い出せる。
でも、衝撃や動揺はあるんだけど、ちょっと呆然とする感じで、衝撃や動揺は強く感じ続けるというより、心の中で燻り続けたという方が近いと思う。

むしろ印象が強いのは、世界が違って見える…?!という新鮮な驚きだった。

世界を改めて見渡してみたら…

カミングアウトを聴いた後に、ふと静かな気持ちで世界を改めて見渡してみたら、今までと違う見え方・捉え方ができる世界が広がっていた。
世界を彩る色がガラリと変わったようだった。

ジェンダーやセクシュアリティについて、また、それだけじゃなくて様々なマイノリティについても、たくさんの問いが絶え間なく浮かび、これまでの自分では気がつきもしていなかったことに次々と気がつくようになっていて、びっくりした。
まるでまったく新しいメガネをかけかえたような気持ちがした。

  • なぜ世の中のほとんどのことが男性と女性だけが存在するという前提になっているのだろう?

  • 同性婚が認められる国とそうでない国があるのはなぜなのだろう?

  • ニュース記事やコラムなどを読むたびに、なぜこんなに語られない前提がひそんでいるのだろう?

  • ジェンダーやセクシュアリティについて深く考えたことがこれまでの人生なかったけど、そもそもなぜ考えたことがなかったのだろう?

  • 世の中の構造や勝手な前提によって、マイノリティという存在に押しやられている人たちに、心を寄せて真剣に考えたことがあったろうか?

  • こんなにもマイノリティと呼ばれるみなさんが生きづらい世の中になってしまっていて、それをみんながなんとなく気がつきながらも、なぜそのまま良しとしながら過ごせてしまっているのだろう?

  • そもそもマイノリティという概念自体どうしてできるのか?

  • 多様性ってなんだろう?

  • 学校に制服がなぜあるのか?

  • 私はこれまで無意識に悪気なく言葉を発したことで、傷つけてしまった人が本当はたくさんいたのではないか?

書ききれないけど、そんな様々な問いが次々と浮かんだ。

いかに、お気楽に、のほほんと生きてきたんだろうか

このような問いが私の中で生まれることがこの時までなかったわけじゃないけど、本当に向き合うべき問いとしては深く考えて来なかったんだと思う。

いかに、お気楽に、のほほんと生きてきたんだろうか。

性別は男性と女性だけではない、異性愛者だけではない、恋愛するのが当たり前ではない、というのは知識としては知ってはいたけど、つまりは実感として持てていなかったということだし、本当にその人自身になりきって考えることをしていなかった自分に気づいた。

多様性という言葉の大切さや切実さに想いを馳せることなく、いかに気軽に、ポップに、悪気なく使ってしまっていたか。

そんな大切なたくさんの問いや気づきを、私のもとにそっと届けてくれた我が家の子どもたちの存在に、本当に心から感謝している。

ありがとう。


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