女性ばかりの職場で繰り返し起こる「ままならなさ」
私はこの10年、ほぼ女性ばかりの職場で働いている。
ちなみに、私も女性だ。
コロナ禍の前から、ほぼリモートで働く職場である。
女性ばかりの職場×ほぼリモートワークという、2つの微妙なやりにくさがつきまとう働き方に向き合い続けながら、想いを持ってガツガツと、ベンチャー企業でスピーディーに働いてきた。
この10年、微妙なやりにくさをなんとかかんとか乗り越えながら働いてきた中で、知恵をたくさん身につけてきたはず。
にもかかわらず、今もなお、女性同士で働く中での「ままならなさ」に繰り返し繰り返し直面する。
いつまでも「ままならなさ」は無くならない。
例えばこんなことだ。
本音を話すことへのためらいが大きくて、我慢したり、当たり障りなく話してしまう
自分に自信が持てなくて、異なる意見についての発言のハードルが高い
女性同士、母親同士だからこそ、相手の背景や大変さが言葉にしなくても推測できててしまい口をつぐんでしまう
自身の困り感について、ためらいを懸命に超えて頑張って言葉にした時の受け取ってもらえなさに愕然とする
自分の発言によって相手を傷つけるのではないか?とストッパーが働いてしまう
その言葉に傷ついたと言われると、次に極端に言いにくくなり、声をのみこんでしまう
同じ女性だからこそわかってもらえているという期待を持ってしまう。が、実は大してわかってもらえてなかったとわかり落胆する
こんなこと思ってしまうなんて・・・という自己否定感から、本当に思っていることが口に出せない
相手の話を聞きながら、私だって大変なのに!という気持ちがフツフツと沸き上がってしまう
私自身が当事者になることもあれば、上記のように感じているであろう同僚の姿も何度となく見かけたり、相談を受けたりする。
びっくりするくらい、繰り返し繰り返し同じようなことがやってくるのだ。
一体これはなぜ起こるのだろうか?
長年頭を悩ましているが、さらに最近、どうしたものか・・・と特に難しさを感じることがあった。
今回のことは、真摯に向き合ってきているもののなかなか解きほぐせないものを感じていて、悩みが深くて長引いている。
そんな時に、Dayaさんのこの2本の動画を見た。
あぁぁぁ、そうか・・・!そうなのか・・・!と悶絶しながらも、発見が盛りだくさんで、一気に三巡も見てしまった。
(大切なポイントが多くて一巡では受け取りきれなかった)
女性の多様性について語る難しさ、女性の内的抑圧や女性同士だからこその語れなさ、関わる難しさ、傷の連鎖。
そして、女性差別、男性優位な社会構造からの影響を知らず知らずのうちに私たちは受けていること。
本当にいろいろな示唆にあふれているので、女性のみなさんにはぜひぜひ見てもらいたい。
女性だけじゃなくて、すべてのジェンダーの方にもぜひ見てもらいたい。
これまでなぜ同じことが繰り返されるのか謎だったけど、この動画を見たら、
「そりゃ、そうか!女性ばかりだもんな。さらに、社会構造からの影響もめちゃくちゃあるのか!」
となんかある意味納得した。
なぜなんだ?!
自分が悪いのか?!
何がいけないんだ?!
という原因探しから少し距離を置ける兆しを感じた。
一人ひとりの個人の中に社会構造が深く入り込んでいる
加えてこの動画の中で、特にハッとさせられたのは、
「一人ひとりの個人の中にも、女性差別やジェンダー観などの社会構造が深く入り込んでいる」
ということ。
え?そんなことある?
むしろ社会構造に対してイラッとしてる側ですが?
と思った。
けど、よくよく考えてゆっくりと自分に問いかけてみると、入り込んでいるかも・・・と心当たりがある。
例えば、
女性はヒステリックになってはいけなくて、穏やかに周りに気を使えなくてはならない
年上の男性が話し始めると丁寧に聞かなきゃという気持ちになりがち
大きな声の男性にビクッとする体がこわばる
家族のケア責任について無意識に自分が背負っている自分
みたいなことだ。
実はそれ、めっちゃあるある!という女性のみなさんは多いのではないだろうか?
「ままならなさ」とともに生きていこう
こういう社会構造と同じゲームに自ら乗り続ける、自ら加担し続けていることにまずは気がついていきたい。
そこに気づいて同じゲームから外れていくことが大切だと動画の中でDayaさんは語っている。
結局は自分の内面に起こってることを見つめること、気づくこと。
そこからしか始まらないよなぁ。
そうだよなぁ。
そして、気づくためには一人では難しいから、他の人との関わりの中で気がついていくのも大切なんだよな。
とはいえ、日常の中でジェンダーについて安心して語れる場所や機会って案外ないとも思う。
当事者同士だと安心安全に語れるわけもない。
私はこれまで何度か当事者同士で話し合うチャレンジをしたものの、同じようなループにはまり込んだり、余計傷が深くなったり、なんかもうめんどくさいという投げ出したい気持ちになったり。
難しいなぁと腕組みしてしまう。
ちなみに、その時の体験の一部をここに書き残している。
難しいなぁと腕組みしてしまうのだけど、きっとこの女性同士ならではの「ままならなさ」は簡単になくならない。
この「ままならなさ」とともにどう生きていけるのか?を模索していくことが大切なんだろうなと思った。
この2つの動画をきっかけに私は、重い腰をあげて「ままならなさ」とともに生きていこうか、という気持ちになっている今。
「相手を変えたい」という引力が私の中にあることを常に感じながら、「変わるのは自分だよ」と何度も声をかけながら歩んでいこう。
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