見出し画像

【宮古島・後編】永遠の楽園で刹那の生に焦がれる

8/29

「俺たちは果たして帰れるのかね」

台風が3つも近づく中、神社の石段に腰掛けながら先輩はスマホを見て言った。私も先輩も、帰宅後はすぐに東京での学会に参加しなければならない。最悪、オンラインで聴講すれば良いとはいえ、久々の対面学会を逃すのは惜しい。なんとか合間を縫って帰りたい気持ちがあった。

「もしも1日遅れになったら、アロハで学会にコンニチハですよ。あまりにも陽気すぎる」
「それな」

そう話しながら別れた翌日のこと。どのツアー会社も「台風の様子がわからないので……」と予約を受け付けていなかったので、タクシーで海中公園へ向かった。

タクシーといえば、とあるドライバーさんの話をしなければならない。海で泳いだ日、シギラビーチへ送迎してくれたSさん(以下、おっちゃん)と話すうちに、随分仲良くなったのだ。

「ほらぁ!見てごらん!ここに生えてるの、全部グァバの木!知らないでしょお?知り合いの畑だから、ちょっともらってきてあげるよ!」
「あのさ!おっちゃんのアパートに寄っていいだろ!?泡盛の小さいボトルがあるから!二人で飲んだらいいさ!」

おっちゃんは随時こんな調子で、乗せてもらうたびにフルーツやら、お菓子やら、酒やら、木の実やらをくれる。日頃から「誠意は言葉ではなく金額」と信じる私がちょっとばかり多めにタクシー代を支払っても、すぐに何らかのプレゼントとして戻ってきてしまう。

結局、最終日までにパイナップル4個、グァバ4個、とぅすぴゃ(ヤエヤマヒハツ)2房、マンゴー2個、大量の海ぶどう、泡盛1瓶、そのほか小さなお菓子をたくさんもらってしまった。(なお、おっちゃんがここまでしてくれた理由は、旅行最終日に明らかになる。)

到着した海中公園は、潜水艦のような構造をしていた。海の中に観察施設が作られているので、魚たちの自然な姿をいつまでも見ていられる。掲示物も充実しており、隅から隅まで読み耽ってしまった。

「私、無限にいられます。適切なタイミングで『もう行くぞ』って言ってください」
「じゃあ、10時になったら行くか」

そう話して、名残惜しくも海中公園をあとにする。「あそこに見えてる展望台に行こう」と言われ、またしても道なき道を行くことに。途中にあった“フラワー迷路”は、『世にも奇妙な物語』に出てきそうなほど荒れ果てていて、冗談抜きで迷ってしまった。

この日は定例会議があったので、午後は自由行動と決めていた。ところが先輩が「俺も帰る」と言い出したので、おっちゃんに電話し、急遽ドライブツアーをお願いすることにした。

「くたびれたろ!だから言ったさ〜!宮古で歩く人なんかだぁれもいないんだから!」
「おととい・昨日とはしゃぎすぎました」
「そしたらさ!おっちゃんのPTA友達がやってるジェラート屋があるから!そこ乗せてってあげる、いいだろ?」
「ぜひ!」

こうしておっちゃんは、ジェラート屋、ハンバーガー屋へ順番に連れて行ってくれた。「一緒に食べてください」とジェラートを渡すものの、ほんのひとくち食べただけで「二人で食べな!美味しいんだから!」と返されてしまう。パッションフルーツもマンゴーもラズベリーも、どれもこれも美味しかった。

「あのさ!仕事は何時から?」
「15時からなんだけど、シャワーを浴びたいので14時過ぎには帰りたいんです」
「じゃあまだ時間あるでしょ、おっちゃんの同級生がやってる海ぶどうの養殖場を見てごらんよ!」

そんな会話があり、タクシーは海ぶどう屋へ。仕事場なのに良いんですかと恐縮するも、快く養殖場を見せてくださった。

「この養殖場はね、普段はレストランにしか卸してないのさ。お店で食べたら高いよお。けど、ここなら1000円で買えるからね」

そう言うと、おっちゃんはポケットマネーで海ぶどうを1パック買ってくれた。そのうえ店の人が、「ちょっとですけど」と海ぶどうを山盛りにして食べさせてくれた。これは報いるしかあるまいと、弟夫婦に買って送った。

途中、マングローブ林にも寄った

タクシーは無事にホテルへ着き、「じゃあ、夜に」と各々別れる。シャワーを浴びて定例会議に出席し、こまごまとした業務を進めていると、早くも約束の17時過ぎになった。

先輩にとって最後の夜となるこの日は、ヤシガニを食べに行くことにしていた。ヤシガニを食べられる店は市内に2つしかないのだが、旧盆にあたったおかげでたまたま予約が取れたのだ。

この店では大きさに応じて価格が決まっており、もっとも小さな0.8kgのヤシガニで1万4000円弱。「ハァ〜!」と目を見開くが、最後の晩くらい豪勢に行こう、と泡盛の古酒もいくつか頼んだ。

(ところで私は、酒を割る理由がよくわかっていない。カクテルは別として、なぜわざわざ濃度を下げなければならないのだろうか。割ったほうがむしろ美味しい、など詳しい事情を知っている人がいればぜひ教えてください。)

『太郎』『琉球王朝』『菊之露 VIP ゴールド』色とりどりのグラスで泡盛が運ばれてくる。しばらく待つと、真っ赤に茹で上がったヤシガニのご登場だ。お店の方が殻を割ってくださっているおかげで食べやすく、味はカニよりもあっさりとした風味。普段から薄味が好きなので、むしろ好みだった。

不思議と無言になりながら身をほじくり、シークヮーサーを絞って泡盛とともにいただく。体を傾けながらのんびりしていると、先輩がそっと「博論はどうですか。」と訊ねてきた。

「採択されるかは別として、論文を1つ投稿したのと、学会にも出せたので、進捗ゼロではないです。ただまあ、ひとまとめにできるかどうか、見通しが立たなくて。とくに研究史と、理論的基盤のところが自信ないです」
「まあさ、書けるところから書けばいいから。俺だったらこういうふうにまとめるかな……」

やおら話し出す先輩に、体を起こしてメモを取る。のど元までせりあがった焦燥感とともに、8月が終わろうとしていた。


8/30

この日は先輩にとっての旅行最終日だった。フライトは13時半、昼食をとる時間はある。市内のおみやげ物屋に寄ってから、この日もハンバーガー屋に行った。

「飛行機、飛んで良かったですね」
「ほんとにね」
「まあ、私のほうはどうか分かりませんけど」
「大丈夫じゃない?合間を縫って帰れそうじゃん、今のとこ」

巨大なハンバーガーを頬張りながら、そんな話をする。4泊5日の疲労もあって、お互いに口数は少なかった。

あちらこちらの美しいビーチを見、美味しいものを食べ、気心の知れた先輩と過ごした数日間。もちろん充実はしていたけれど、自ら撮った写真には、常に憂鬱の影がつきまとう。「今日はもう、このまま宿で仕事をして、眠ってしまうのがいいかな」半ば諦めながら、ランチョンマットの模様を見つめる。

「じゃあ、明後日に東京で。帰れたら。」

手を振る先輩を空港で見送り、再びタクシーへ。

「おっちゃん、ありがとうございました。無事に見送れました」
「よかったねえ〜。んじゃホテルかな?」
「はい。お願いします」

そう伝えると、もはや見慣れてきた道をタクシーは引き返す。逸れてくれた台風のおかげで、平坦な街には青空が広がっていた。

「泳ごうかな……」

確度20%くらいの、立ち消えそうなモチベーション。しかしそれは少しずつ強くなっていき、「沖縄に来て泳がないとか、ありえないでしょ」くらいに固まっていった。

「おっちゃん、私、一人で泳ごうと思います。待ち時間は請求してもらっていいので、水着を着てくるまで待っててもらえますか」
「もちろん!宮古にいる限り、夏野さんの足は心配しなくていいからねえ」

お言葉に甘えて急いで部屋へ入り、もうひとつの水着に着替える。目指すは新城海岸だ。

到着した新城海岸には、昔から営んでいるらしきレンタル屋さんが数軒あった。そのうちの1軒へ入り、「勢いで来たので、何も分からなくて」と相談すると、このあたりの海について丁寧に教えてくださった。

いわく、新城海岸はあたり一面がサンゴ礁で、ずいぶん先まで歩けるほどに遠浅であるという。さらにはウミガメもやってくると言い、運が良ければ歩いているうちに遭遇できるだろうとのことだった。

レンタル品を一式借りて、まずはビーチを歩いて端まで渡る。簡単に撮影できれば、とスマートフォンを持ってきたものの、気付けばわずらわしくなって、お店へ引き返していた。

「やっぱり泳ぎたくなったので、貴重品を預かってもらえますか。それから、レギンスも貸していただけたら……」
「はいはい。そしたらお金はあとでいいから、まずは泳いできたらいいですよ」

優しさに救われる。水着の上からレギンスを着て日焼けに備えると、ちょうどいいぬるさの海に入っていった。

お店の人の言うとおり、新城の海は一面がサンゴ礁で、傷つけないように泳ぐのが一苦労だった。

水面に顔をつけるたびに、ドンキホーテの水槽でしか見ないような魚が群れをなして泳ぐ。大好きなツノダシを追いかけていたら、近くにいた二人組が手招きするのが見えた。

「カメがいますよ!」

1mはあろうかというウミガメだった。どうやら食事中だったようで、両ヒレをサンゴに突き立てては、柔らかい部分を噛み砕いていく。時折水面に顔を出し、「プハ」と小さく呼吸してまた海中へ。甲羅の色がサンゴ礁と同じなので、こんなに大きな生き物なのに、しばらく目を離しただけでも見失いそうだった。

「昼過ぎにいるのは珍しいんですよ。朝はいっぱいいるんだけど」
「運が良かったですね」

そう声をかけてもらい、二人組と別れる。そこから1時間ほどは、ウミガメと一緒に泳いだ。

しばらく経つと、濡れた背中にひんやりした風を感じるとともに、心地よい疲れがやってきたことに気付いた。冷えと疲れがまずいことは経験的に知っていたので、無理せずに上がる。お店にレンタル品を返し、冷たい湧水で身体を流したあと、パラソルを借りて砂浜で休んだ。

『氷結』を飲みながら、友人・知人に連絡をとる。いくらかの友人には、このところの苦境を相談していた。「一人ビーチ、エモいやん」「大人の女やね」あえての軽口が沁みる。“かわいそうな人”のレッテルを貼られて、口先だけで心配されるやりとりほど空虚なものはないからだ。

ひとしきり連絡をとって落ち着いたので、おっちゃんに電話し、宿へ戻る。シャワーを浴びて昼寝したあとは、思いつきでバーへ向かう。泡盛のカクテルを飲みながら、「やっぱ、泳いで良かったな」と今日の決断を反芻した。


この数日間は、ドライバーのおっちゃんと過ごした数日間でもあった。想像以上に広い宮古では、いつも片道20〜30分ほどのドライブが必要だったからだ。

狭い車内で言葉を交わすうちに、おっちゃんは少しずつ、賃金の低さやコロナ禍での苦境、そして自身の生い立ちについて話してくれるようになった。

「観光客が食べるものなんて、おっちゃん達の口には入らないさ。高くて高くて買えないもんね」
「内地の人がやってる店は賃金も高いんだよ。この間、高校生の子を乗せたら、バイトの時給が1000円を超えてるって言うもんね。おっちゃんなんか、800円くらいだよお」

「おっちゃんは石垣生まれなんだけど、中学2年生から宮古の養護施設で育ったのさ。あそこにあるのがその施設だよ」
「小さい頃はひもじいもんだから、お盆になると、お供え物のお菓子を拾いに行くんだよ。普段たくさんは食べられないからね」

そう言いながら次々と食べ物をくれるおっちゃんを見ていると、ちょうど先日亡くなった祖父のことを思い出してしまう。戦争のせいで食べるものに困り、芋虫を炒って食べたというおじいちゃんは、私が朝食を抜こうとすると、「ええから食べいや」と半ば怒ったふうにパンやリンゴを手渡してきた。

足元のビニール袋をガサガサやり、「これ、食べて。海から上がると疲れるだろ」とどら焼きを手渡してくれるおっちゃん。

目の前の人に食べ物を与え、おなかいっぱいで眠ってくれることを祈る。そんな素朴な願いこそ、愛の本質かも知れないな。と思うなどした。


8/31

10時のチェックアウトまでのんびりしようと部屋でパソコンを広げていると、おっちゃんから電話が来た。

「起きてるう!あのさ!おっちゃん11時から病院だから、今から行ってもいい?」

もはや親戚である。支度はだいたい済ませていたので、スーツケースを持って外へ出た。

「もう空港に行くだけ?街中は寄らなくていい?」
「おみやげは買ったので大丈夫です。空港で仕事します」
「そうかあ。あのねえ、さっきマンゴーを切って冷やしておいたのよ。どこかでカフェにでも入るんだったら、その間にちょっとでも冷えるかなと思ってたんだけど。渡したいから、おっちゃんのアパートに寄ってもいいだろ?」

こうして手渡されたのは、どっさりのマンゴーだった。

「また宮古に来たらさ、絶対電話してよ。夏野さんの番号は登録したからね」
「女の人は強いから、大丈夫さ。仕事だってちゃんとあるもんね」

そう励ましてくれるおっちゃんと、空港で別れる。涙がこぼれるエモーショナルな別れというよりも、「じゃあ、また!」で締めくくられる、さわやかな旅の終わりだった。


現実はフィクションではないから、この旅によって劇的に気分が上向くとか、何かの踏ん切りがつくとかいったことはない。あるのはただ日常だけで、どのような問題も結局のところ自分で対処するほかないことに気付く。

しかし、たとえそうだとしても、常に問題とにらめっこする必要もないんじゃないか。ときに漂い、ときに酔いながら、「ひとまず今日このときだけは自分を逃そう」と己を許すのも、心を守るためには大切なんじゃないか。

今回の旅の経験は、そんな気付きにまとまるだろう。なお、先輩とは無事に東京の学会で再会した。秋が訪れようとしている。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。