見出し画像

【3】青春を弔う旅に出る(USJそして研究会編)

5月、いよいよ京都の家を引き払うことにした。その最後となる2週間の記録。

5/16

この日は研究室の後輩と会い、修論の相談に乗ることになっていた。大学近くには色々なカフェがあるが、朝早くから開いている店は少ない(大学生は早起きしないためだろう)。それでキャンパスのすぐ近くにあるクラークハウスへ向かった。

ホットサンドを食べながら話を聞き、自分の体験の範囲内でいろいろと話す。役立つかは不明だが、少なくともこれまでに何人かから相談を受けてきたので、「留年もしてみるもんやな」なんて呑気に思う。

その後は烏丸まで出て、iPhoneのバッテリーを交換してもらう。本体を買い替えても良いのだが、手が小さいせいで最新型には馴染めず、相変わらず13miniを使っている。来月のフィリピンでは頻繁に辞書を引くだろうので、それに備えた形だ。久々に外したiPhoneケースには埃が積もっていて、過ごした時間の長さに耽った。

そろそろ引っ越しの準備も進めなければということで、出町柳のケーヨーデイツーに寄る。160サイズの段ボールを2枚買い、えっちらおっちらアパートまで持って帰った。箱を広げ、祇園祭で着た浴衣をしまいながら、次はいつ着られるだろうかなどと思う。飲みきれなかったワインと一緒に本を詰め、しっかりと封をした。

5/17

この日は近所のリサイクル業者さんが家具・家電の買取査定に来てくれる日だった。迎えるなり「ドラ洗(ドラム式洗濯機)をいただきに来ました」と言われ、唐突なことで困惑する。怪訝な顔をしてしまったのか、挨拶をやり直してくださり、その後は粛々と査定が進んだ。

査定が進んでみると、電子レンジも冷蔵庫も、たった2000円ほどの値段しかつかなかった。どこのメーカーとかいったことは関係がないらしい。つまりは需要と供給のバランスで、大学生がよく手放すものは安く、なかなか入手できないものは高値がつくということだった。

脚立やパーティション、座椅子は当然値段がつかず、こたつ机は500円。プラスのデスクは0円査定で、こだわって揃えたところで、何のリセール価値もないらしい。

例外は、冒頭で触れたドラム式洗濯機だった。大学生でドラム式を買う人はそう多くないらしく、ほとんど入荷しないため、相当がんばった値段をつけてくださるという。また意外だったのは、一人用食洗機にも高値がついたことだった。「これは初めて見ました」ということで、4万円弱ほどの品だったが、1万円で買い取ってくれることになった。それならばと食洗機だけ渡し、残りは引っ越し前日に運び出してもらうことにした。

帰り際、業者さんから「ずいぶん家電にこだわらはったんですね」と声をかけられた。

「もうちょっといるつもりだったんですけど、東京へ戻ることになりまして」
「へえ、就職ですか?」
「いや、ここはセカンドハウスでした」
「どういうことですか?」
「会社の社宅だったんです」
「それでこんな家電を。そらええ会社ですね」
「私の会社ですからね」
「え!」

「大学生やと思った」と繰り返す業者さんは、私のことを相当若く見ていたらしい。立ち話になって、「次にまた京都に来るんやったら、いややなかったら中古で揃えはってください。きれいなやつを確保しときますんでね」と言っていただけた。なんのことはない会話だったが、いつか帰ってくることもあるのだ、という考えが妙に沁みて、丁寧に見送った。

業者さんが帰ったあとは、共同研究者とユニバーサルスタジオジャパンで遊んだ。もともとは20日に予定していたのだが、天気予報が芳しくなく、「晴れているし明日にしよう」と決まったのだった。地球のオブジェの前で待っていると、共同研究者がひょっこりやってくる。まずはハリウッド・ドリーム・ザ・ライドに乗ってみようということで、100分待ちの列に並んだ。

共同研究者は人混みが苦手で、音がこだまする屋内の行列はかなりつらそうだった。それでもなんとか100分並んで、通されたのは先頭だった。上へ下へと振り回されながら、あっという間の体験を終える。隣を見ると、「あと3周したい」と満足げな表情で一安心した。

その後は園内をあちこち歩き、しゃべったり座ったりして過ごした。同年代なのでホグワーツのエリアではそれなりに盛り上がり、初めてバタービールも飲んだ。おそろいのキーホルダーは断られたが、先輩にカエルチョコを買っていくことにし、大事に抱えてレジへ。クルーのお兄さんから「列車でカエルが逃げ出さないように注意して」と微笑まれ、心が温まった。

閉園時間になったので、園外にあるカフェで一息つき、京阪電車で帰る。あれこれと真面目な話をしたら止まらなくなってしまい、アパートで続きを話すことにする。せっかくなので先輩も呼んで、買ったばかりのカエルチョコを渡した。

結局23時ごろまで話して、明日も会おうと約束し、各々の家へ。こうして気負わず会えるのもあと数日だと思うと寂しい。汗ばんだ身体を風呂できれいにし、眠りに就いた。

5/18

「結局、東華菜館にもキエフにも行かずじまいでした」

そうこぼしたのを覚えていてくれたらしい。先輩から「東華菜館に行こう」と言われたので、バスで祇園四条へ向かった。

ヴォーリズによる建築として有名なこの建物には、日本最古のエレベーターがある。今の時期はテラス席を使えるとかで、ありがたく通してもらうことにした。

連日先輩に会っているので、正直なところ話題はもう残っていない。それでも穏やかに食事をとり、四条大橋を眺めながらぽつぽつと話す。用事もないのにふらっと会えるのが、小さな街の魅力なのだ。

中華でおなかが膨れたあとは、五条のマールカフェへ。ここでもテラス席を選び、大きなサングリアを頼んだ。

気持ちのいい季節に、屋外で飲む酒は格別においしい。本当はもう1件行きたいと言われていたのだが、さすがにその余裕はなく、川沿いを歩いてアパートへ帰った。

この日は夜に、関西に住む友人となんばで会う予定があった。ご夫婦で来てくださることになっていたのだが、友人のほうが体調を崩し、奥様とのみお会いすることになった。(ちなみに奥様からは博論執筆中、とても細やかな気遣いをいただいており、人の善性とはこういうものかと感動させられていた。)

奥様とあれこれ話し、巨大なほっけをつつきながら日本酒を飲み比べる。予想外に深い話になってしまい、家族のあり方って本当に難しいよな、と月並みな感想を持った。

奥様曰く、友人は最近とても忙しいらしい。知り合った頃はお互いに学生だったけれど、就職すればそれぞれに生活が変わるものだ。健やかに過ごしているといいなと願いつつ、なんばで解散して帰った。

5/19

この日は立ち上げた研究会の初日だった。フリーの研究者が主催する会にどのくらいの人が集まってくれるかと不安だったが、蓋を開けてみれば100名以上の申し込みがあり、そのうち6〜7割が実際に参加してくださった。ご発表いただいた両先生方のお力であり、感謝しかない。

立ち上げて思ったのは、とにかく動き出すのが大事だということ。「分野の動きに鑑みると、こういう会はそろそろあるべきだと思っていたけれど、なかなか腰が重くて」という先生が多くいらっしゃった。こういう先生方は、いざ立ち上げてしまえばあれこれと力を貸してくださるので、誰かが旗を振り「やりますよ!」と声を上げることが必要なのだろう。私はとくに失うものもないので、良い鉄砲玉になりたいものだ。

研究会は予想以上の盛り上がりを見せながら終わり、終了後には思いがけないお声がけもいただいた。うれしい気持ちを抱えたままアパートを出て、先輩とささやかな打ち上げをする。この日は出町柳にあるジビエの店で、鹿やキジ、すずめなどをいただいた。

初めて食べたすずめは想像以上に小さく、羽毛の下はこれほど小柄なのかと驚かされた。これでは到底主食にはなりえないだろう。野菜にせよ穀物にせよ家畜にせよ、常用されている食物の原種を見てみると、よくもここから品種改良を進めたものだと感動してしまうし、食に従事されている方への尊敬が募る。自分では何一つ食べ物を作り出せないのに生きていられるのは、社会があるおかげなのだ。

先輩と解散し、家へ戻る。酔った身体をベッドに横たえると、そのまま2時間も眠ってしまった。事務連絡がいくらか残っていたので、急いで済ませる。会と同時に立ち上げたDiscordを見てみると、急激に人が増えたせいでスパム監視システムが働いており、慌ててしまった。あれこれと対応していると、いつの間にか0時前になっていた。

研究会は、京都に残る最後の理由だった。それが終わった今、何ら用のない土地に家を残しておくことは、やっぱりできないだろう。ひとつ、またひとつと、ここにいる理由が失われていく。分かっていても、受け入れがたいのだった。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。