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【2】青春を弔う旅に出る(鴨川供養編)

5月、いよいよ京都の家を引き払うことにした。その最後となる2週間の記録。

5/13

この日はなにも予定を入れず、ここまでの思い出を書き留めることにしていた。人間の脳は忘れっぽいから、端から記録しておかなければすぐに気持ちが薄れてしまう。思うようなみずみずしさで伝えられないもどかしさに苛立ちながら、書いては消し、書いては消し、気づけば昼を過ぎていた。

このままこもるのも良かったが、残された日にちも少ないなかで、何となくはばかられた。そこで前から気になっていた『オッペンハイマー』を観に、河原町三条のMOVIX京都へ足を運んだ。

作品はさすがのノーラン節で、決して楽に観られる映画ではなかった。それでも『TENET』ほど難解ではなく、比較的親切なつくりだったように思う。作中で触れられた京都という土地でこれを観ていることも縁深い。題材や表現のあり方など、もちろんいくらか言いたいことはあるのだが、まだ消化しきれていないので、いずれ友人たちと語りたいものだ。

映画館を出ると5月だというのにコートが欲しいほど冷え込んでいて、歩いて帰ろうかという気分はあっさり萎えてしまった。バスに乗って百万遍に着き、逃げ込むようにアパートへ。裏起毛のパジャマに袖を通すと、なんだかとてもほっとする。

パソコンを確認すると、共同研究者や後輩からメッセージが届いていた。動かない頭でノートをまとめ、会合の日にちを決める。熱めのシャワーで身体を温めると、早々に布団にすべり込んだ。

5/14

この日はいつも通りの仕事で、きちんとリモートワークをした。あれこれとタスクがあって頭がこんがらがってしまう。こんなときは声に出して「大丈夫」「順番にやる」と念じることにしている。簡単だけれど意外と効くおまじないだ。

仕事のあとはどうするか迷って、神宮丸太町にあるジムへ行くことにした。東京でいつも通っているジムの店舗があり、2000円ちょっと払えば都度利用できるからだ。大正時代に建てられたここは文化財にも指定されており、京都ではお馴染みのスーパー「フレスコ」も入居している。

ジムの内部はいつもの店舗より広く、マシンの台数も多い。押し寄せる寂しさをかき消すように、いつもより負荷を上げてトレーニングをした。

鴨川沿いを歩いて帰る。あと何回この道を通ることができるのだろう。

過ごした季節が映画のように蘇る。ヘッドライトの光が散乱して、本当に綺麗だった。

5/15

あまり食べていないせいか明け方に目を覚ましてしまった。起きるほどの元気もないので適当にネットサーフィンをしながら二度寝を待つ。この日は先輩からアフタヌーンティに誘われていた。

この日のアフタヌーンティは高瀬川沿いにある「がんこ」だった。ここは由緒正しい建築だとかで、山縣有朋の別邸としても使われたことがあるという。我々の通された席はもともと能舞台だったらしく、「ほへえ」としか言えない風情があった。

手毬寿司などが載ったヌンをもくもくといただく。食事が終わると庭へ出て、いろいろな岩や木をウームと眺めながら、ゆっくりと歩く。新緑が美しく、有名な吾妻屋風灯籠は、読書でもしたいような静謐さに包まれていた。

夕食もご一緒することになっていたのだが、すでにヌンでおなかが膨れていたので、腹ごなしに歩こうということになった。猫好きの先輩を喜ばすべく、円山公園の猫スポットへ。ちょうど夕食の時間帯だったらしく、お世話をなさっている方がいて、お話も聞くことができた。

伺うに、さまざまな困難や苦労がある中で、地域の方々が猫たちをとても丁寧にケアされていることがわかった。しかし、そうした好意に甘えて猫を捨てていく人が後を絶たないらしい。

地域の人とお話ししたあとは、馬肉の専門店で少しばかり飲んだ。

酒も入って気持ちがゆるんだのだろう。最近の悩みや京都を離れる寂しさなどが込み上げてきて、うっかり涙してしまった。店はもう出ていたので、「もうちょっと飲む?」と急遽コンビニで酒を買い、川沿いのベンチで飲みながら話す。何度目かの「どうしたらいいんですかね」を発したあと、唐突に、「この思い出を供養しよう」ということになった。

「今の私に必要なのは供養だと思います。燃やして、おしまいにしたいんです」
「俺の家に線香あるけど……湿気ってるかもしれん」
「コンビニ寄ってみます?」
「売ってるかねえ」

そんな会話をして立ち上がり、近くのセブンイレブンへ向かう。日用品の棚を探すと、なんと驚き、線香が売られていた。

正直なところ、「7&iホールディングスのロゴ入り線香」なんておもしろグッズを見た時点で、そこそこに元気は出ていたのだけれど。

ここまで来たら供養を完遂しようということで、日本酒を取りにアパートへ帰り、大好きな鴨川デルタへ出た。花火に興じる大学生の合間を縫い、三角形のてっぺんへ。小さなおちょこに日本酒を注いで乾杯すると、持参した線香に火を灯し、少しずつ思い出を語り始めた。

やりきれない思い、重ねていく歳、ままならない気持ち。川の流れにかき消されそうになりながら、いい歳こいてコントロールできない感情について、ただひたすらに打ち明けた。「線香、いっとく?」とか言いながら、1本、また1本。背後から聞こえる大学生の声も、今は遠い過去を見るようだった。

そうして日本酒も飲み終わる頃には、不思議と気持ちが落ち着いていた。

真っ暗なデルタを用心深く帰る。

「俺も京都長いけど、急に供養に参加したのは初めてやわ」
「すみません。変なことに付き合わせて」
「いやあ、楽しいからいいよ。〇〇さんはいつも混沌と困惑をプレゼントしてくれるからな」

混沌と困惑、どちらも私が愛してやまないものだ。まだ肌寒い夜のなか、抱えたひざの感触だけは、きっといつまでも忘れないだろう。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。