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旅と蓋 〜長野・清里で日常をつらぬく旅をする〜

6月17日(土)

早朝の中央線に乗っていた。
下り方面の電車の中、たくさんの山を登りそうな格好の人たちと一緒に高尾まで揺られる。わたしもそこそこ大きなリュックを背負っていたが、山なんて登りそうもない可愛い服を着て、徐々に建物の背が低くなっていく郊外の風景を一人で眺めていた。

わたしが毎日生きていて、本当にやりたいことって何なのだろうか。
わたしにはいくつか夢があるけれど、時間をかけて成し遂げるような大きなものもあれば、今月中に牛角に行きたい、なんていうのもある。
仕事中の不自由な時間に思うのは、あの本を読み終えたい、あの人がゲスト回のラジオを聴きたい、いっぱい寝たい、あのことについてゆっくり考えたいけど、めちゃめちゃぼーっとしてやりたいとか。すごくありふれた欲がまず浮かぶ。

どれも日常でやっていることだけど、全部を満足にやるのは意外とむずかしい。
一日の限られた時間の中で何かの時間を減らしたり上手くやりくりして、やりたいことの時間を長く取れても、結局は睡眠が減ったり、他の日常のタスクがチラついて集中できなかったりする。

今回、旅に出るのはそういう「生活の上手くできなさ」からだった。
わたしの求めているものって、全然非日常ではない。
いや、いつもと違う場所というだけでそれは日常じゃないのかもしれないけれど、いつもの生活と似たような心持ちで非日常につま先だけ浸りたいと思ったのだ。

わたしがやりたいこと。まずは読書、睡眠、徒歩、喫茶店、ぼんやり。
旅に出て、知らない町で自分の日常を、しかも趣味とか睡眠とか、日々のおいしいところだけやっていい時間を作りたかった。


今回はJR東日本の「週末パス」というフリーパスを使って電車の旅をする。
こちらは関東地方を中心に、北は新潟や福島、山形、仙台を通り越して女川まで、西は熱海や長野あたりまで行くことができて2日間8800円で乗り放題というすばらしい切符。

行き先は長野だったが、長野自体にあまり目的はなかった。(マンホール蓋とマンホールカードくらい)そんなに遠くない場所で旅気分を味わいつつのんびりするか〜、と考えた時に長野が良さそうだと思ったのだ。

空が白んできた頃に中央線に乗り、7時には終点の高尾駅に到着した。ずっと一緒に電車に乗っていた老若男女の登山客がごそっといなくなったので、乗り換え先は空くことを期待していたけれど、甲府行きの中央本線にも結構たくさんの人が乗っていた。でもここまでは順調。


旅の超序盤での出来事だった。
一日目は山梨県にある清里に寄ってから長野市に移動して1泊する予定だったが、甲府駅でトイレに行っていたら電車を逃してしまった。しかもトイレに入っている時ではなく、のんびり手を洗って鏡を見ていた時に電車が行ったらしい。アホすぎる……。

このせいですごく乗り継ぎが悪く、甲府で1時間待ち、小淵沢で40分待つというとんでもないロスが発生してしまうことに。自分の愚かさとこれから来る小淵沢40分待ちに心が折れそうになったわたしは、急遽ルートを変更して、スムーズに行けそうな松本経由で長野市に向かうことにした。わたしには腕時計があるべきだなと思った。


久しぶりに松本にやってきた。
この町を訪れるのは2年半ぶり。前に散歩した時は年末だった。
駅を出た瞬間、東京より格段に冷えた空気に凍え、「このまま散歩をするのは絶対に無理だ!」と思って駅前の蕎麦屋に駆け込んだ思い出がある。
あの時はあたたかい信州蕎麦に心も身体も救われた。だけど今日はぴかぴかに晴れて、ロータリーの地面の照り返しがまぶしい。わたしの隣には半袖の高校生が自転車にまたがって信号待ちをしていた。もう夏だった。

信号を渡って飲食店街の方へ繰り出すと、懐かしい顔を見つけた。

お久しぶりです、手毬のうつくしい蓋。
松本市は手毬が有名らしく、マンホール蓋にもカラフルに着色されたデザイン蓋が色違いで並び、見ていてずっと飽きないのだ。今回はあんまり撮らなかったけれど、初めて訪れた時はどんな色があるかと地面に夢中になったものだ。


松本では喫茶店に行ってごはんを食べたい。
朝4時にお茶漬けを食べて以来何も口にしていなかった。「珈琲美学アベ」と迷ったけれど混んでいたので、翁堂の駅前店へ。
こちらはたぬきケーキが売っていることでも有名なお菓子屋さんで、駅前の店舗には2階に喫茶室がある。照明控えめの落ち着く店内。翁堂のキャラクター・ミミーが描かれた窓ガラスから差し込む自然光が心地良い。

店内から見た翁堂の窓ガラス
ナットーパスタとアイスティー(ミルク入り)


ナットーパスタとアイスティーを注文した。
アイスティーのグラスの形が喫茶店らしいとっぷりしたフォルムで可愛い。サラダもセットでやってきて、机の上がすごく「喫茶店のお昼ごはん」っぽくなっていて嬉しかった。勢いよくナットーパスタを巻いて口に運ぶが、小盛りにしたのに普通よりちょっと多いくらいの量だったので一瞬で満腹になってしまった。自分のちいさすぎる胃が恨めしい。

ゆっくりごはんを食べていると、隣のテーブルに作業着姿の50代くらいの男性二人組がやってきた。見た目はがっしりしている人たちだったが、聞こえてくるのが「あとでモスのシェイク飲みたいからサラダはやめておこうかな〜」「もう蚊取り線香出した?」とか、会話が可愛くてちょっと癒された。
わたしよりスピーディーにごはんを平らげていった男性たち、きっとシェイクを飲みに仲良くモスバーガーに行ったのだろう。


ナットーパスタと格闘すること小一時間。お腹をパンパンにさせて喫茶室を後にしたわたしは、一階のお菓子屋さんでたぬきケーキを買った。

翁堂のたぬきケーキは体が四角かったり、雪だるまのようにまんまるだったり、楽器を持っていたりとバリエーション豊かだった。
たぬきの頭の上にはカラフルなゼリーみたいなものが乗っかっていて、これがたぬきたちのオシャレなのかしら、と思うと胸がキュンとした。
ミニたぬきと、大人のたぬき(ラム酒入り)を買った。箱の中でたぬき2匹がほほえんでいるのが最高に愛しい。これはあとでゆっくり食べるからリュックの中に大切にしまい、小さなたぬきたちを気に掛けながら旅を続けた。


山梨〜長野の景色はずっと山が近くにある。
他の地方にも山たくさんあるが、このあたりはさすが内陸オブ内陸というか、こちらに迫り来るような勢いの高い緑に囲まれている。とにかく山の密度がすごく、どこにいても、どれだけ栄えている町でも奥の方はずんと大きな山がそびえていた。これだけ大量の緑の眺め続けてたら視力上がりそうだと思った。


松本からわずか1時間20分ほどで長野駅に到着した。こちらは初上陸。
駅ビルを出ると、ほら、すぐにあった!

長野市のりんごの蓋!会いたかった!
蜜の多そうな丸いりんごたちが輪っかになって並んでいるのがなんとも可愛らしい。センターはりんごの花で、実を全面に主張しすぎないところがバランスが良くて好きだ。背景の白もりんごと花のの可愛さとカントリーな雰囲気を際立たせている。

この蓋と出会えて嬉しかったが、長野市での目的(りんごの蓋を見る)をいきなり達成してしまい、やることがなくなってしまったが、せっかくなので長野市の名所である善光寺をゴールとして寄り道をしながら、長野駅前まで行って帰ってくる散歩をすることにした。

駅前近くからまっすぐと善光寺へと伸びている道が一番わかりやすかったが、そこを通っても面白くなさそうだったので、脇の道に行くと古いアーケードがあって歩き甲斐があった。長野市は意外と独立系書店が多いのだと知った。商店街を地図を見ずに善光寺がありそうな方向へくねくねと歩いた。知らない町を歩いている時が一番楽しいと思った。

40分ほど歩いて善光寺にたどり着いた。
もう17時をすぎていて、参道前のお土産屋さんも半分くらいは店じまいをしていたけれど、まだまだ観光客は絶えない。
そこまで寺社仏閣に興味があるほうではないので、旅のなかでお寺に行くことはめったにないのだが、せっかく来たからのでお参りをしていく。
本堂は線香のにおいに満ちていた。この場所の静けさと、どことなくひんやりした空気が、わたしがさっきまでいた場所と対照的で、肌にすうっと染み込むように心身の火照りが落ち着いていった。

庭も散歩したかったけど疲れたので帰ることにした。
長野駅の方へ戻っている途中、スーパー「トマト」の前でまたもや素晴らしい蓋を発見した!

長野オリンピックの蓋。かっこいい〜。
この蓋も1993年か、それより前に設置させたのだろう。鉄が錆びたのが、滲んでいる。2020年の東京オリンピックの蓋はつやつやしたプリントシール蓋なので、より長野オリンピックの蓋に有難さを感じた。時間が経つとこういった貫禄が出るから鉄の蓋はかっこいい。

夜は駅前のお蕎麦屋さんで天ぷらそばを食べた。天ぷらの乗っかっている蕎麦は高いので、普段は山かけ蕎麦(これも好き)ばかり頼みがちだけど、今日は店に着く前から「絶対に天ぷら蕎麦」という固い意志があった。

ひとり暮らしを始めてから家の近所にお気に入りの蕎麦屋さんができて、よく蕎麦を食べるようになったのだけど、信州蕎麦はいつも食べるものとまったく違う香りと味がした。すごくおいしくて、するする食べられたので、「これを食べ終わってまだいけそうだったら、地下にある立ち食い蕎麦屋さんハシゴしちゃおうかな」なんて思っていたけど、7割食べたところですごく満腹になってしまった。食べる前の自分の調子の乗り方が信じられない。

おいしい蕎麦を食べて満足したので、どこにも寄り道をせずにさっさと帰ることにした。ホテルの隣には西友があったのでオイコスのブルーベリー味を買った。部屋で本を読みながら食べた。たくさん移動をして疲れていたので、22時半くらいに眠った。


6月18日(日)

たっぷり眠ったので朝から元気だった。
昨日は急遽ルート変更をしてしまったけれど、今日こそは清里に行く。清里ではサイクリングをして、ソフトクリームを食べる。それだけ。それしか予定がなくて、最高だった。

小諸行きのしなの鉄道に乗ると、ここでやっと電車にクロスシートが登場した。
誰も座っていない席と向かい合って窓を覗けば旅の気分が高まった。もう2日目だけど。

小海から清里まではなぜか海に関する名前の駅が多かった。
海どころか、昨日に引き続きずっとずっと山。特に佐久海の口駅から佐久広瀬間駅は窓に葉っぱが触れ合うほど自然との距離が近かった。わたしはただそれを見ている他、何もしていなかった。
音楽もラジオも聴かず、焦らず、何もしない、をするのに、旅の見慣れない景色を映す電車はぴったりだった。

清里に到着した。降りる人は意外と多かったのに、わたしがのろのろと駅舎を出て駅前の広場を歩き始める頃にはほとんどの人の姿がなくなっていた。

誰もいなくて見通しの良い駅前には、喫茶店とお土産店と蕎麦屋、ファミリーマートとソフトクリーム店などが静かに並ぶ。静かに、というのが重要で、その広い道路には全然人が歩いていなかった。
清里はバブルの頃に人気の観光地だったようで、わたしが楽しみにしていたのがその先にあるメルヘンな廃墟。ミルクポット型の建物と、すぐそばにはお城風の建物もあった。

ミルクポットのうしろ
ミルクポットの前

わたしの清里のイメージといえば、このミルクポットの廃墟だったので実物を見ることができて嬉しかった。昔は喫茶店だったのだろうか。
いま清里が全盛期のように栄えていたら絶対に遊びに行きたかった。


ミルクポットの先にはポッポというお土産店があって、これもまた廃墟化していた。

ウォーキングデッドの世界みたい


お城風の建物の先の道を進んでいくとメルヘンな建物はなくなり、大きな道路が広がる。
周囲には誰もいなくて、服を着た2匹のアライグマだけがわたしを待ち構えていた。


突然現れた謎のフリーマーケット会場。森と広い道路しかなくひっそりとした中、ここだけいろんな色があって雰囲気が異様だった。
もしもこれが罠だったら、色とりどりの物品に目を眩ませてあれこれ買い物しをしていると、アライグマに化けていた悪者たちがわたしを攫い、人間鍋にされて食べられてしまうのだろう。そんな、最後の楽園感が漂う。
ガレージの中には食器やアクセサリー、小物など、ちゃんと人の手入れがされている感じがする。ほしいものはいくつかあったけどどうやってお金を払うのかわからなかったのでやめた。生きて帰れて良かった。

駅前に戻って、観光協会でレンタサイクルを借りた。係の人におすすめされた「まきば牧場」を目指して、さあ出発!というところで、目を見張るような蓋が現れた。

すごい。すごいぞ、清里。
この形の雲は初めて見た。ドーナツ?メルヘン? こんなの絵本の中でしか見たことがない。線はかくかくと牛の顔や乳の形のアニメっぽさがキュート。注目すべきは川の水面。こんなにポップな波の形があるだろうか。メルヘンでレトロで可愛い、清里にぴったりな蓋。

出発前に最高の蓋に心奪われてしまったが、あらためてサイクリングに出発。

さすが清里は山の中。
電動自転車でも息が切れるほどのきつい坂道が続く。坂を登りきると橋があった。さっきまで電車から見ていた深い緑の山もこんなにも近くで見える。
すぐ側ににかっこいい自転車を停めて写真を撮っている人がいたから構図を丸パクリしてわたしも記念写真を撮った。
(電動バッテリーついてるのがちょっとださい)

丸パクリの図

橋を渡ると、ふれあい用じゃない普通の牧場の牛が道路の近くまで顔を出したりしていた。これはもう日常をはみだしている。とてもたのしい旅だ。

清里駅から15分ほど自転車を漕いでまきば牧場に到着。
ここには広大な敷地の中にポニー、ひつじ、ヤギなどがいて、どの動物とも触れ合える距離まで近づくことができる。一番最初に出会った動物はポニーだった。

柵の中に何頭かいて、木陰で1頭だけぼんやりと立っているポニーもいたし、3頭くらいはyogiboのCMくらい気持ちよさそうに草の上で眠っていた。そのうちの一頭が、突然むくりと顔を上げたかと思うと、半目のままゆらゆらと頭を揺らしていた。寝ぼけていた。はじめて馬がうらやましいと思った。

まんなかのポニーが寝ぼけてるやつ

次はヤギ。ヤギは高いところが好きらしく、仙人みたいなやつが高い台の上で微動だにせず遠くを見ていた。その佇まいを見ると、人間より偉くて立派に思えた。ひつじは柵の中に入れるコーナーもあったので入ってみたが、間近で見ると顔が黒くて思ったより怖かった。

次は清泉寮へ。
こちらは宿泊施設やお土産屋さん、レストランなどが並ぶ場所で、ここでソフトクリームを食べることが今日一番の目標だった。

ソフトクリーム屋さんの前にはそこそこ行列ができていたけれど、メニューがひとつしかないので店員さんがソフトクリームを作り、渡し、をひたすら繰り返して、列がどんどん短くなっていく様子に、わたしたちが部品で店員さんがロボットの工場を妄想した。わたしも無事、店員さんにソフトクリームを手の中にすっぽりおさめてもらうと、外の広場に出た。

ソフトクリームをどこで食べるか迷う。
食べたかったソフトクリームだったから適当な場所で食べたくなかった。しかしベストなベンチを探してさまよう間にソフトクリームはどんどん溶けていく。

ソフトクリームとうしろに牛


気づくとうろうろしながら何でもない場所で半分くらい食べていた。早く食べないと溶けちゃうから。手はベタベタになっていた。
結局犬を連れたおじさんの隣のベンチに座り、たくさんの観光客に混じって牧場の芝生を見ながら食べた。

わたしは一人の部屋でごはんを食べている時、「あ〜、うまっ」「おいしすぎる!」といったひとり言を言ってしまうことがある。きっと、その時わたしは美味しいものを食べている時の顔をちゃんとしているだろう。
これが普段の外食だと自然と自制心が働いて黙って食べられることができるのだが、ひとり旅となると心のネジがゆるんでしまうのか、つい小声で「うまっ」と言ってしまう。そのあと「あ、いま一人なのに」とは思うけれど、どうせ誰も見ていない。見られたら変って思われるかもしれないけど、一人旅の時点ですでに普通よりちょっと変なのだ。

この時食べたソフトクリームの甘やかさや緑の景色をわたしは忘れたくない。
家族連れの観光客で賑わう中で一人、わたしは小声で「うまい」と言っていたし、とてもおいしそうな表情をしていたと思う。


まきば牧場と清泉寮をめぐるサイクリングを終えて、駅に戻ってきた。
実は、先ほどのソフトクリームが本日で初の食事だった。ごはんを食べてないのにデザート。すごくお腹が空いた。

わたしは旅先でごはんを食べることがものすごく下手だ。
絶対これを食べる!この店に行く!と、食事を目的として設定しないと食事ができない。基本的に電車移動が多い旅をするのだが、本数の少ない地方都市では一本逃がすと数時間到着が遅れてしまうことがある。(まさに一日目に甲府で失敗したように)
そのため、そもそも乗り換え時間に余裕がなかったり、行った先でも散歩や移動を優先させたりしてるうちにどんどん時間が経って、夕方近くになってからはじめて食事をすることになるのだ。

この時点で次の電車まで40分くらい。
あとは帰るだけだが、帰るにもソフトクリーム1つしか食べていないのでお腹が空きすぎて耐えられない!
普段なら食べるのが遅いので1時間は余裕がないと飲食店には入らないが、空腹のあまり駅前の喫茶店「しらゆり」に駆け込んだ。

広くて洋食レストランらしい机と椅子は、想像の中にあった「高原にある洋食レストラン」とぴったりで、嬉しい。物語にある店みたいだ。


さっと食べられそうなのでカレーを注文した。赤ワイン系の香りが漂う、上品だけどあたたかい気持ちになれるカレー。とてもおいしかった。
もっとゆっくり味わいたかったけれど、予定通りさっとかきこみ、喫茶しらゆりと清里の町に別れを告げた。

途中、小淵沢駅で待ち時間があったので駅前を少し散歩した後、売店で「もものあら絞り」とビンに書かれたジュースを買った。よく冷えたジュースを握りしめて、出発前の電車に乗り込んだ。

高尾行きの電車はよく空いていた。
夏っぽい緑を眺めながらつめたいもものあら絞りジュース飲んでる時、なんだかすごく最高だった。一人きりのなんでもない瞬間で、好きなことができていて、わたしは旅が大好きだと思った。

あら絞り


今朝、長野駅を出発してから乗車時間は7時間を超えていた。
はじめ長野は近いと思っていたが思ったより遠かった。中央本線が通る山梨も、東海道本線に乗った時の静岡くらい長く感じた。
しかしそのおかげで、この2日間で西加奈子さんの『うつくしい人』と、くどうれいんさんの『桃を煮るひと』半分くらいを読めた。この土日に旅に出なかったら、こんなに読んでいなかった気がする。これは今回ののんびり旅の中でも特に嬉しいことだった。


旅に出ると、「有名な場所に行かなきゃ」「おいしいものを食べなきゃ」と思いがちだ。
この点に関するわたしの意識は希薄で、観光地にはそんなに行かないし、目的が果たせなくてもまた行けばいいか、と思うけれど、わたしはわたしなりの「旅の撮れ高」みたいなものを求めてしまう。
行く場所すべてにかっこいいアーケードや渋い町並みを期待するし、面白い看板やマンホール蓋があってほしい。それがなきゃ意味がないとすら思ってしまう。

でも旅って、馴染みのない道をぼやーっと歩き、いつもと違う喫茶店で本を読んだり、知らない車窓をただ見てのんびりするだけで成立していいものだと思う。
この旅がほとんど何もせずに、楽しもうという気合もないまま楽しかったから、わたしはそう確信できる気がした。

やっと高尾まで辿り着き、中央線は八王子、立川などの大きな街を通り越してどんどんわたしの住む街の方へと進んでいく。電車の中には旅の空気を残した大きなリュックを背負ったわたしがいて、東京で生活する人たちが乗ってきて、また降りていって、グラデーションみたいに旅が終わっていくのを感じていた。