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ある川の風景

 夏に白石川の「六本松」で、よく泳いだことを思い出した。その上流の右岸から流れの一部が隧道ずいどうに取り込まれている。その隧道が江戸時代に作られたことを、小学生時に教わった。
 後に、資料で江戸時代後期に、白石城主片倉氏の家臣であった片平観平親子が中心となり、私財を投じ、十年がかりで隧道を完成させたと知った。
 その隧道は、白石城跡の西側で、二方向に分かれる。一方は館堀川として城山の内堀のように北から東、さらに南側へと回り、小高い益岡や寺前に沿って流れ、田町、新館を経て、所々で水田などに引き込まれながら、終端は斎川と合流する。他方は沢端川で、白石城跡を外堀のように巡り、武家屋敷前や桜橋を経て、市中を東へ横切り、やがて斎川と合流する。
 川から枝分かれする多くの水路は、生活用水や農業用水とともに、川の流れに揺れる梅花藻ばいかもや悠々と泳ぐ鯉、水田で鳴くカエル、夕暮れの水辺を漂い飛ぶ蛍、日盛りの川面を渡るオニヤンマなどにも恩恵をもたらしてきた。
 白石川から取水する隧道は、かって先人が命がけで完成させたものであるという誇りが、今でも記憶に残り続けている。

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