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職場の人間関係の楽しみ方についての雑感その2 ~ハナココロ 仕事と人生を全力で楽しむあの手この手~

こんばんは!!
なつむです。


ハナココロというコミュニティで
全力人生アンバサダーとして
「仕事と人生を全力で楽しむあの手この手」
という体験型セミナーをしています!


もうすぐ、
2022/5/23(月)夜に
「職場の人間関係の楽しみ方」と題して
新しいテーマのセミナーをします。


お伝えしたいことは山ほどあるので
noteでたくさん
書いてみたいと思います♪


ハナココロは会員制コミュニティ。
こちらから♪

https://community.camp-fire.jp/projects/view/415678



職場の人間関係の楽しみ方 雑感その2


自分を満たす、満たす、満たす、満たす


自分自身、
満たされていますか?

満たされるっていう感覚自体が
人によってイメージも異なるかと思うのですが、

そうだなぁ。

私の場合は、

ゆっくりお風呂に入っているような。

心配事や不安が、頭に何も浮かんでいない状態とか。

ぐっすり眠れた日の気持ちのいい朝とか。

美味しいものを食べているときとか♪

そういう状態って、


一時的なものだ、とか、
条件付きでないと訪れない、、、、、と、

昔は思っていたのですが。


自分で選んで、作ることもできます。


緩んで、くつろいで、穏やかで、静かで、
まぁるくて、あったかくて、

そういう体の感覚を覚えておいて、
どういうときにそうなったか、
覚えておいて、

それに類似したものを
何かの作用で引き出せないか。

って、
いろいろやってみているうちに。

わかってきます。

ちゃんと寝る。
何かを食べたいとか小さなのぞみを
叶えてあげる。
御飯の時間だからって
食べたくないのに食べる、とかしない。
お風呂に入る。

意外と、そんなこと。

でも、
その「そんなこと」が
できていないと

自分は満たせなくなります。
意外と、簡単に。




自己卑下の沼から抜け出す


この沼は、人によって
ハマったりハマらなかったり
違うと思いますが、

たぶん最初は不満の沼で。
なんで私ばっかり、とか、
あの人はずるい、とか、
どうして自分はこうなんだろう、とか、

で、
どこかで
「悲劇のヒロインごっこ」
をやっちゃいます。

ごっこ遊びに慣れると
本気でそう思い込んじゃうから、
なかなか根深い。。。 苦笑


人生の何処かで
そういう時間を経ると、
私以外にも、

自己卑下

簡単に言うと


「オレナンカドーセ」。


(名作RPG MOTHER2 に
 そういう名前の敵が出てくるんですよ。

 ピンクというか、紫というかの
 ソフトクリームの上の部分の
 さらに ”出来損ない” みたいな子 笑
 「俺なんかどうせ」
 って名前がぴったりすぎて、
 可笑しさの中にちょっと哀愁漂う
 キャラクターさんです)


でね、
日常生活を送っていると
自分が自己卑下の沼にハマっていることなど
気にしません。

ので、気づいていません。

が、
いろいろオカシナ反応が出ます。


例えば、

人が悪い話をすれば
「あぁ、私のことかもしれない」

(いや、自意識過剰すぎますから!)

人がいい話をすれば
「あぁ、それに引き換え自分はなんてダメなんだ」


「誰も、そんなこと言ってないよ!?!?」
という、

微妙に不思議に歪んだ認知をします。


今お話していることのテーマを
思い出します。

職場の人間関係を楽しむ、です。


この状態って、
楽しめそうでしょうか・・・?


きっと、
結構、難しいですよね。


このオカシナ反応の裏にあるのは
自己卑下、
自分を「それでいい」と思えていない
のではないかなーーーー、と、

私は認識しています。


自分は間違っている
と根源的に思っているから、 

逆に正しさを主張したくて
攻撃的になったり。


変に悲観的になったり。


自分自身のことなので
遠慮なく切ってしまうならば、

いやぁ、なかなかに、
面倒くさい、ですよねーーーーー。 笑


そういう沼には
できたら、
気づけたらいいなと思います。

そして気づいたら、

気づいたぞって認識をして、

抜け出そう、と、思えたらいいですね。


では、どうやったら抜け出せるのか。

その前に、
自己卑下に陥ると、
どんな状態になるのか、
もう少し落ち着いて見てみましょう。



自分のことばかり気にしている?


自己卑下も、
それ自体が何かの理由で必要なタイミングや
経験や
それがやりたい時期っていうのも
あると思うので、

そういうときは、
とっぷり、浸かっているのも
悪いことでも無いと思います。

ただ、

ずーーーーーーーっと
そこにいたいか、

っていうと、
ちょっと、勘弁ですよね。



自己卑下の状態って
何が問題なんだろうって思うと、
何がそれで、
人間関係を楽しむことに
影を落とす、
じゃまになる、
妨げになるんだろう、
っていうと、


究極的には


自分のことばかり考えてしまう

自分にばかり矢印が向いてしまう


ということだと思います。


何を聞いても、
「自分は」「自分は」「自分は」

って、思う。


とても、
反応的な状態で、
その自分の反応にすごく
囚われている状態、だと思うんです。


他人や環境のせいで
自分は可愛そうな目に遭っているとか

すぐにそういう視点に目が行く。




自分を脇に置けるか


ちょっと荒療治ですが、
視点を切り替える、
という意味では、


一度、自分を脇においてみる、
というのは、
私は、有効でした。


自分に対して、

ねぇねぇ、
あなた、さっきから、
ずっと、

自分はこう思う

自分はこう感じた

自分は

自分は

自分は

ばっかり思ってるよね???


ちょっと、
その話は、えっと、
興味が無いわけじゃないけど、
一旦、いいからさ。

(↑脇におくw)

ちなみに、目の前の人は
何を思ってそうなの?

どうしてほしそうなの?

そういうのって、
考えてみたこと、ある???



恐ろしいことに、
考えていませんでしたね。


人の気持とか。


あーーーー。こわい。



だって、
相手がそうだったら、
ちょっと嫌じゃないですか? 苦笑


何を話しても、
こちらのことなどお構いなしに、
「自分は」「自分は」「自分は」って。



あぁ、この人、自分が可愛いんだな。
人ってもちろんみんなそうだけど、

ここまでそのバランスが激しいと、
ちょっと辛いな。って、

思うじゃないですか。



魔法の視点:この人のために自分は何ができるだろう


思い切って、

仮でいいので、
考えてみましょう。


「この人のために自分は何ができるだろう」


仮でいいから、真剣に。


そうすると。


あれ?っていうくらい、
世界が変わると思うんです。


さっきまでの、
自分が自分がって、悩んでいたの、
軽くなりませんか。


相手のために何かをする。


ひとって根源的に
誰かの役に立ちたい生き物だと思います。

それに資する目線になったとき、
それって


ただただ自分を守る、というのとは
すこし、異なる風景が見えると思うんです。


どっちがいい悪いではなくて。


一つのものの見方に凝り固まっているなら、
別の景色が見えると、

肩の力が抜けます。

そうすると、
不思議なことが起き始めます。



他人の評価が気にならなくなる


自己卑下に落ちているときは
他人の評価もやたらと気になります。

でも

他の人に対して
貢献しようという視点になったときに


そこに集中している間は、
自分に矢印が向かないので、

自分に対する評価とかも
気にならなくなるんです。



善悪ではなくて、



他人の評価がすごく気になるときと比べると

「楽」です。

圧倒的に。



こんな風に、
自分のものの見方を
いじってみて、
かえてみて、

揺さぶってみて、


人間関係を
(職場に限らず)
自分からいつの間にか
難しくしてしまう場面を


ちょっと減らせると

楽になるのかなって

思います。



んー。

ちょっと、
今日の話は
丁寧さが足りないというか。


お話とお話に
飛び感も大きい気がする。


はっきりいうと
少し「雑」かもしれませんが。



今日は一旦、このへんで。



ハナココロは会員制コミュニティ。
よかったら、
一緒に、自分を生きる実験しましょう♪




















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