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やってみないとわからない

こんにちは。
なつむです。


よく、無茶をします。

足が痛くなっても、
痛くないところや
我慢できるポイントを探して
走ったり、歩き続けたり。
(これはわざとやってる 笑)

何かに夢中になったら、
結果的に、
睡眠時間を削ってしまったり。。。
(これは実際、自分も悲しんでる。)


なんで、そうしちゃうんだろう。

って思うことがあります。


人から失敗予想を立てられたことを
そのままやって、失敗したことも、
具体的に何だったか
今出てきませんが、あります。

それも、
なぜ、そうしたかったんだろう、
と、
思うことがあります。


きっと、多分、なんですけど、


だって。

やってみないとわからないじゃない、

って

どこかで思ってるんだと、
思います。



足が痛いのに走り続けたら、
故障することなんて、

やってみなくてもわかる。

というのはもっともです。


でも、


足が痛くなってから、
それはどうなるのか。

痛い状態でも、どこまで行けるのか。

自分はどんな痛みなら耐えられて
どんな痛みは耐えられなくて

どんな痛みをどう感じて、

何をすると
どう痛くなって

何をすると
どうマシになって

使い続けるとそれはどう変わって、

どこの筋肉がどう使われて
どこの筋肉で何をかばって、
どこに疲労がきて。



それって、
やってみて初めて、わかります。


もちろん、体調にもよる。
ケースバイケース。

だから、
練習の内容をそのままフィードバックしても
本番で思ったようにいかないことも
たくさんあるんだろうと思います。


それでも、


自分の体の感覚は、
自分を観察して、
中からも外からもよく見て、
感じて、
掴んでいくことでしか、


今日より進まないじゃないですか。


これは、「やってみなくても」わかること、
でもあって、
「やらなかった場合」の知見が手に入ります。


こういう痛みが出た段階でやめておけば
このくらいの痛みで済む、
というのは

「こういう痛みが出た段階でやめて」
おかないと、
わかりません。


ただ。

なんというか 笑

大は小を兼ねるというか。 笑笑



「変化が小さい時に起こること」

って

「変化が大きい時に起こること」

から、

一定、推測が可能だったりします。


10km走れば、
5km走った時の疲労感は、
想像がつきます。


でも、

逆は無理なんです。


5kmしか走ったことのない人は、
10km走った時の疲労感は、
想像するしかない。

でも、
想像する元手がない。



私が、無茶をするのが好きなのは、
その経験から、体験から、
得られるものを、
最大化できると、
信じているから、



、、、、、、、



と、書いてみて初めて、言葉になりました。


そうだったんだ、自分。


たしかにしっくりきます。



こういうのが、noteって、
こういう「書く」ことって、いいですよねぇ。




今日もお読みいただいてありがとうございます。


ではまたーーーー!!

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