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完璧主義をポイポイするコツ

こんにちは。
なつむです。


突然ですが、
あなたは、完璧主義、ですか?



完璧主義な自分、に悩まれている方


先日、
「多忙なスケジュールでも乗りこなして楽しむこと」について、
人とシェアをする機会がありまして、

その時に、
秘訣として
できないことは諦めて、うじうじしない

お話しましたらば、

こんな反響を頂きました。

「完璧主義になってしまって、
 できないことを諦める、が、できない。
 うじうじしてしまう。」 

「完璧主義をポイしたいけど
 ポイする方法がわからない。
 今度話してほしい。」


おおーーーそうなんですね。
ぜひ、考えてみます!


とお伝えしつつも・・・・



実は軽く衝撃でした


何を隠そう、私自身も、
理想が高くて、
「完全な状態からのマイナス」
で現実を見てしまって、

仲間から

「どうして、現状をそんなに
 「できてない、できてない」
 っていう捉え方をするの?

 できていることもたくさんあるのだから、
 「今、気づいたんだけど、今後はこうしよう」
 で、良くない?
 
 いや、もちろん、感じ方なんて、
 人の自由なんだけどさ・・・」

と言われるような人です 笑


私もそう。
「完璧主義者」出身なんですよねー。

でも、「出身」と書いた通り、
今現在の私はたしかに、

(例えば)多忙なスケジュールを楽しむ秘訣は(というときに)
できないものはできないと諦めること、

という、完璧主義とは別の感覚も、自分の中にあるのです。




やむを得ず捨てる経験を重ねることで慣れてきた


なんでだ?

どこで変わった?

私は何を獲得してきた?
あるいは何を捨ててきたんだろう?

考えてみました。


自分の人生を、何かしら、
自分の思い描ける最高のものにしたい、

そういう部分に、「完璧を求めていく資質」と言うのは
相変わらず、強く出ているような、気がします。

そのために、「自分さん」にいろんな経験をさせてあげたい。

「魂の震えることに、お金と時間を使いなさい」

若い頃なにかの本で読んだ、そんな言葉が好きで、

震える原因は何でも良いのかもしれないと思います。

怒りでも、悲しみでも、悔しさでも。
喜びでも、楽しさでも、温かさでも、
満ち足りた思いでも、
平和でも、希望でも、
深い深い、愛でも。

とにかく、経験を積み重ねさせてあげたい。

そのために、良かれと思うものを集めて、
スケジュールを詰め込んじゃう。 笑

結果、
「物理的にどうやってもやりきれない」ということが
発生します。

普通にやって
30分かかることと
15分かかることが2つと
5分かかることが5つ
やりたいこととして、あるのに、

今日はこのくらいに寝たいな―と思った時間まで
あと30分しかない、とかです。 笑

そういうのが、毎日毎日毎日毎日
発生し続けながら生きています。


すると何がおきるか。

だいたい二種類かなぁ。
私は両方やりました。。。笑


最初は詰め込んで、無理して、そして倒れます。 笑

上で書いた例でいうと、寝たい時間を無視して
睡眠時間を削ってやりたいことをやり通してしまうのですね。
で、結果、体調不良を起こしてしまう。
簡単に言えば「頑張りすぎ」です。

倒れたら、ちゃんとブレーキになってくれた、
無茶を受け止めてくれた体さんに、
お礼を言いましょう。 笑


できないことを諦める」ことを、覚えます 笑

睡眠時間を削ってでも、何かを犠牲にしてでも
やり続ける。
「これ、やってたら死ぬ。持たない。」
と、
どこかで悟ります。
たいがい、倒れたあとなんですけど 笑


それで、仕方なく、捨てます。

と言うか、 諦めて寝ます。


諦めて寝れば、寝る前にやろうと思っていたことは
無事に「できなかったことを諦めたもの」になります。

めでたし!!(どこがだw)


やむを得ず(自分の完璧主義では絶対やるべきことも)捨てる。

そんな経験を繰り返してきました。


捨てたくて捨てているわけではなく
そんな格好いいものではなく、

未練タラタラながら、
やむを得ず、捨ててきました。

何回も何回も捨てているうちに気がついたのは
「大して困らなかった」ということ。

そして、「大して困らないのか・・・」という認識を持ったこと。

だんだん、大胆に、やることを諦められるようになります。



人生にタラレバはない、を体に落とす


今起きていることが最善。

そういう考え方が、昔は苦手でした。

だめだめ、現状肯定なんて。
私みたいなダメな人間、
現状で甘んじていたらほんとに、
何の役にも立たないダメな人になっちゃう。

あるいは、

今にOK出すって、つまらなくない?
何かしらの現状否定があるからこそ、
今より何かをよくしようって思える。
その、「よりよくなろう」っていうのが
どんな面のことであれ、
人は面白いし美しいのであって、
「ぜーんぶ今のままでいいんだ~~~」って
そんな自堕落なことでは、
張り合いがないというか・・・・
・・・かえって、つまらなくない??????

そんな風に、本気で、心の底から、
思っていました。


どこで変わったのかなと思うと、


「際限がない・・・・・・」orz


と悟ったのかなと思います。

考えまくって、行動しまくって、改良しまくって、

でもね。ゲームの世界と違って、
「エンディング」がないんです。

人生のエンディングは死だからね。

ゴールがないんですよ。

どんなに、何回、ゴールに到達したって、
「現状を否定してなにかの改善点を見出してそれを直すことで前に進む」
という考えを持っている限り、

最終ゴールは、「無い」んです。

これは、苦痛です。くたびれる。
で、どこまでやれば?ってなる。

死ぬまでこれを繰り返して、楽しい????って。


そこで、わかったんです。

「現状を一番いいと思えば良いんだ」って、そういうことか。って。


今の世界は神が作り給うた世界なのかもしれないけれど、
見方によってはまるで完全だと思えない。
問題が山積しているように見える。

そして、実際に目の前で苦しんでいる人なんかがいると、
この状態を良くしようって、変えようって、思う。
それ自体は美しいし、尊いし、素晴らしい。

だけど、それとは別の次元で、
現状は現状で、最適であり、最善であり、完璧なんだ。


それを感覚として「受け取る」ことで、
自分の「外」の状況に依存せずに、人は今ここで「幸せ」を
感じられるように変わっていくことができます。


「うじうじする」っていうのは
「あぁ、あっちの選択肢の方が良かったかもしれない」
という思いが強いんじゃないかと思う。

人生に、~~たら、~~れば、は、存在しない。

存在しないものにすがりたくなるのだけど、
なんなら、

~~たら、~~れば、
今より悪かったかもしれない
のです。


とりあえず、現状を最適なんだって、そうなんだ、って、
知らなかった、そうなんだ、って、

慣れない人はまず一度、思ってみましょう。


現状が最適だとしたら、最善だとしたら、
存在しうる最高の状態だとしたら?

「~~だったらなぁ」といううじうじは、

あれ、してもしかたないのか・・・・・

っていう思考になれたら、めっけもん。♪



ご縁がなかったの


あっちのほうが良さそうだなぁと思ったけど、
現実がそうじゃない時、

あぁ、「ご縁がないんだね」
「私には必要ないんだね」
って、思うようにしちゃいましょう。

大丈夫。

本当に必要なものとはちゃんとご縁がある。


・・・・。

まだ書きたいことがある気がするけれど、
だいぶ長くなってきたので、

一度、切ろうかな。


他に話題としてあるのは、

エゴの自分も自分の一部
 眼の前の現実が最善と言われて反発する気持ちについて
完璧主義をやめてどうなりたいのか
 完璧主義を悪者にしている自分に気づく
 完璧主義をやめるは否定語。どうなればOKを言葉にしてみる
完璧主義をやめた自分になってみる?
 今思ったどうなればOKな自分に「なっていい」という許可を出す
 自分は完璧主義なところがある、も残して良い
完璧主義だから得られるものも忘れない
 完璧主義の恩恵もある
 大事な資質

この辺について、また書く、かも知れないし
放置するかも、しれません 笑


ではまたーーーー!

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