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私を全力にさせるもの 2 〜体育会系文化部〜


「美しい人間から
 美しい音楽が生まれる」

中学校の音楽室には
そう掲げてあった。

今でも、いい言葉だな、と、思う。

中学生活。
これもまた、私の「全力」の
「素」かな、と感じる。

「全力」という側面から
いくつかの印象的なことを
取り出してみたい。

・・・・・

今、私は、
ハナココロというコミュニティで
「全力人生アンバサダー」
という肩書き(仲間に創ってもらった)
で、イベントを開催している。

イベントの名前は
「仕事と人生を全力で楽しむあの手この手」笑

文字通り、
仕事も人生も全力で楽しんでいる私が
今までに身につけてきたあの手この手を、
ヒントとしてお渡しし体感していただく
ワーク付きセミナー型のイベントだ。

仕事も人生も全力で楽しむ。

その姿勢は
ここ数年で一気に加速しているものの、
短期間で培われたようなものではない。

なぜ、私は
いろんなことを全力でやろうとするんだろう。

いくつかの心当たりについて、
振り返っていく。

・・・・・

眩しい3年生


「幡中さん、もっと、大きな音で
 吹いていいよ?」

合奏中、隣に座った、
2つ上、3年生の先輩に、笑顔でそう言われた。

言い方は優しいけれど、
要するに

「音が小さいーーー!!!!!(怒)」

と、いうことだ。

その数ヶ月後、その先輩たちは
全国大会、普門館の舞台へ立たれることになる。

小学7年生、みたいな状態の
まだまだ脳内ガキンチョの私から見て

たった、たった2つ上の先輩たちは、
本気で
人間として、
すごい人たちに見えたものだった。

全力でやっても、まるで足りない。
最初はそんなのばっかりだ。

練習に行くのが嫌になる日はいくらもあった。
でも、
ものすごく嫌だと思いながら
必ず部活に行った。
今思うと不思議なくらいに、当時、
行かない選択肢は自分の中になかった。

そんな度胸もなかったのかも。
ただ、従順だったのかも。
単純に、真面目だったのかも。

でも、今思うと、そうするうちに、
なんだかんだで、
鍛えられたんだろうなぁ。

ご縁

私が吹奏楽部に入ったのは
なんでだったんだろう。

知ったのは多分、
親からの情報提供だった。

小学生の時に行っていた学童保育の
「おねぇちゃん」たちが何人か在籍していて
その親から親に、
「厳しい環境な分、
 子供が人間的によく育つ」
と、評判があったらしい 笑

吹奏楽部にしたら?
と、母に何度か
それとなく勧められた。 笑

部活紹介で、
いくつかを見て回ったけど
ギリギリの土壇場で、
やっぱり吹奏楽部、
に、しとくか、、、
最後は、えい、と決めた。

全部やれ = 全部やれる

「部活があるから」
というのを
何かができない理由にするやつは、いらない。


学級委員(うちの中学では「評議委員」と言った)、
他の委員会活動、
生徒会、
班長、
学校の活動にも、積極的に参画せよ。

もちろん勉強もしろ。

そういう場所だった。

人の可能性に制限を設けない感じが、
両方やれ、= 両方やれる、という感覚が、
私は、豊かで、とても楽しかった。

打ち込む=全力が当然の空気

「ご家族でご旅行、結構です。
 ただしお子さん置いていってください」

保護者会で顧問の先生は
親に普通にそう話していた。

親はびっくりしていたが、
すごいねぇと笑っていた。

「そのくらい打ち込むのが当然」という空気があった。

顧問(大人)が本気

吹奏楽部でやっぱりありがたいのは、
先生が音楽に、
マジで本気だということだ。

相手が中学生だからって、
容赦をしない。

もちろん
演奏技術については
「できるようになるように
 段階を追って練習させる」
ことはやる。

でも、気持ちの面のこととか
人としての姿勢とか、
「美しい音楽」が生まれるような
「美しい人間」たれ、と、いう面では、
高い水準を、本気で求められていた。

厳しさ = 信頼の構図

当時の自分の気持ち、
深層心理を今想像すると、

そういう厳しさというのは、
ある種の
「大人扱いをしてもらえている」
ことでもあって、

それだけの水準を求めても耐えられるはずと
「信じてもらっている」んだという、

他では代え難いような
とても大きな喜び・嬉しさを
含んでいたのではなかったか。

さっき、
あの頃、辛くても、
サボる気にはまったく
ならなかった&なれなかったなぁというのを
振り返ったけれど、

わかる気がする。

部活の先生や先輩は
「もっと出来る自分」を
なんなら自分以上に、
暗に認めて求めてくれる存在
だったんじゃないかなぁ。

その期待や信頼を裏切ることは
自分で自分を諦めることであって、

負けん気が強くて
人一倍承認欲求も強い私は
完全にその、「認めてくれる」ことに
虜、「トリコ」に、なっていた気がする。
だから
サボるという選択肢が生まれなかった
のではないかと。

厳しさ = 信頼 = 愛!

そうかぁ。

今、書いたものを読み返して
自分の書いたことに自分で
へぇ、そうだったんだ、
なんて思っています。

今まで漠然と、
部活って一定厳しいほうが
なんか、
結果的にいい感じになるよね
というのは思っていて。

でも、
基本的には
怖いの嫌だし
キツいの嫌だし

叱るよりは
褒めて伸ばして♪
というタイプなので

厳しさが愛だっていうのは
なんだか直感的にはわかる気がしても
分解していくと
厳しいほうがいいっていう論理が
なんだか、
わからなかったんですよねぇ。

そうかぁ、

厳しく接することは
相手を一定オトナだと認めることであって、

先生が生徒に
厳しく接することができるのは
先生が生徒に対して、
受けてみろ、お前は受け止められるはずだ!
という信頼をすることであって。

それって、時に、
先生にとっては
すごく怖いこと、のはず。

だから、怖い先生のほうが人気があるのかぁ。

その、厳しさの中にある根源的な、
信頼という形態の愛情って、
なんだろうな、

子どもの頃の方が
私は受け取り上手だったのかもしれない
とも思います。

どこかのタイミングから、
そういう愛を受け取らなくなって
自分から閉ざすようになって

長じてからのほうが、
そういうの、受け取るのが下手になって、
表面的な優しさのオブラートを
すごく強く求めるように
なってしまっていたりしないだろうかな。

あるいは、
人から信じてもらったから信じる
のではなくて
自分の側から人を信じていく
という
パラダイムを越えられないまま
歳を重ねたというか。

人に厳しくするのは
簡単ではない。
それは信頼を裏切られて傷つくかもしれない、
というリスクをとって
自分から先に相手を全力で信頼しにいく
という状態だから。

うん、厳しさって、
ものすごい、愛、ですね。

きっと、そういう大人に恵まれた、
そういう接し方をしてもらえる場所に
身を置けたことが、

ひとつ、私の全力の源に、
なっていることと思います。


うん、今日は(いや、いつもか)
盛大に書き散らかしたなー
という感じですが。


あなたの近くに、
今でも昔でも、
厳しさという形の愛を届けてくれた人、
いましたか?

今日もお読みくださって、ありがとうございます。

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