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雨のはじまり

こんにちは。そしてはじめまして。

始まりの投稿だし何を書こうかと思っていたら今日は朝から雨降りなので、雨の日の記憶について書くことにしました。

今日の雨は久しぶりにザーザー降っていて、しっかり雨、地層の1番下まで染み渡らせるぞという雨の気合いを感じます。こんな日に外を歩くのは大変だよなあ、濡れるし、傘差すと手塞がるし。

だから、こんな雨の日は学生時代の登校を思い出します。ひとつは小学校の集団登校。もうひとつは大学までの駅からの道のり。どちらも15分くらいは歩いたので、雨だとなかなか歩くのが憂鬱でした。

小学生の頃、今ぐらいの雨の日はうっすらストーブがついていました。(当時北国の実家には大きいストーブがあった)玄関には長靴が用意してあって、ランドセルにはカバーをかけて、家の大人の人たちはわたしが濡れないように準備をしてくれました。でも、みんなと同じがいいわたしは全てに嫌と言って、いつもの靴を履いて家を出ました。絶対濡れるし気持ち悪いんですけどね。

雨の中歩く道のりは、お家の人の言うことを聞かなかった後ろめたさと、心細さと、傘を持つ手の冷たさでいつもより学校が遠く感じたのを覚えています。


もうひとつは大学時代。上京して親元を離れ電車に乗って、駅から大学まで歩いて通っていました。わたしの大学は小さな女子大だったのですが、大学までの道は2種類しかなくて、行き方をわからなくてもそれっぽい女の子の後をついていけば着くくらいぞろぞろ連なって歩いていました。アリの行列みたいだなあと思いながら、毎日みんなでヒールを鳴らしていました。靴擦れの日々。

雨の日はヒールだとなお辛いし、傘を差すから並んで歩けないし、東京なのに意外と寒いし、新米アリのわたしは本当に気が滅入りそうでした。弱くて、でも虚勢を張っていたアリ。かわいいですね。

でも、憂鬱だった記憶を辿っても不思議と暗くならないんです。それどころか、ストーブが焚かれた部屋の暖かさが蘇るような微笑ましい気分にさえなります。書いていて気づいたんですが、きっと親とか家族とかそういうものに守られていた記憶が奥底にあるからなのでしょうね。小学生のわたしも、一人で暮らすようになっても。肌寒い雨の日の透明で暖かい記憶。



社会人になってからの雨は、わたしにとって仕事にダイレクトに関わってくるものになりました。先月までの約7年半、国内線の客室乗務員として飛行機に乗っていました。

今日揺れそうだなあ、お客さんも濡れちゃうなあ、出発までに止むといいのに…などなど窓を走る雨粒を眺めながら出勤していたのが懐かしいです。

これからCA時代の話もぽろぽろしていきたいと思います。

つい最近ベランダで育て始めた野菜、水あげたばっかだったからもう水いらないのにな。

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