カーブカット効果と個人開発
好きな言葉の一つに「カーブカット効果」というものがある。
カーブカットとは、元々は車椅子ユーザーの移動を容易にするために歩道と車道の間の縁石をスロープ状にした設計のことだ。
車椅子利用者のために設計されたカーブカットであったが、今ではあらゆる場面にその恩恵を広げ、ベビーカーを押す親、旅行かばんを引く人、ランナーなど、多くの人々がこの便益をシェアしている。
これに準えて、ある特定の困難を解消しようと作られたものが、意図せずに他の多くの困難をも解決し、結果として社会全体の利便性を高める現象を、カーブカット効果と呼ぶ。
カーブカット効果は建築やデザインだけでなく、テクノロジー、教育、職場といった多岐にわたる分野でその真価を発揮しており、ソフトウェアの分野においても例外ではない。
例えば、シリコンバレーの教育系スタートアップEnuma社が開発した「トドさんすう」と「トド英語」は、創業夫妻が自身の障害を持つ子供のために作った教育アプリであった。
しかし、その使いやすさから、障害の有無に関わらず、世界中の子供たちに遊ばれるアプリへと成長した。
そして、私が開発する「ポストック」という家族向け情報共有アプリも、その例証と呼べるような貴重な体験をすることとなった
私がこのアプリを開発したのは、家庭内におけるITスキルのバラつきを実感した事がきっかけだった。
育児、ひいては家庭運営とは、膨大な報連相とナレッジ共有から成る一大プロジェクトであるにもかかわらず、仕事では当たり前の情報共有文化が家庭には根付いていないと感じた私は、保育園からのプリントや偏食気味の子供のレシピ、口頭で伝えられる面談のフィードバックなどを仕事と同じ要領でNotionやGoogleドライブで一元管理しようと考えたのである。
しかし、結果的にこの方法は暗礁に乗り上げる事となる。
仕事においては、書類審査や面接を経てスクリーニングが行われ、一定のITスキルが担保されるが、家庭においてはそうではなかった。
我が家においても、パートナーがツールをうまく使いこなせないという問題に直面したのだ。
そこで私は、タップ数を極限まで減らし、誰でも使いやすい洗練されたシンプルなUI/UXにこだわった家族の情報共有アプリを開発することにした。
そんな取り組みが、思わぬ形で反響を呼んだ。
ユーザーからは「個人用のメモアプリとして使いたい」「趣味の活動グループでも使いたい」「仕事で活用したい」といった声が寄せられるようになったのだ。
家族の情報共有をスムーズにするためのアプリが、他の多くの人々の日常生活において役立つツールへといつの間にか変容を遂げていた。
子が静かに眠るベビーカーをそっと押しながら、排除の壁を取り払ったカーブカット・スロープを歩む。車輪は滑らかに転がり、静寂の保たれた車内は穏やかな寝息で満たされている。
「誰かが支援されれば誰かが損をする」そんなゼロサムゲーム的考えに根ざした冷淡な視線が行き交う社会だからこそ思い出してほしい。
他者の困難や不便さに対する真摯な向き合い方が、実は多くの人々の生活を豊かにする鍵となることを。カーブカット効果のもたらす希望を。