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サラリーマンは変面師だ。

寒い日に池袋駅に降り立つと、蘇ってくる記憶がある。

大学時代、中国から留学してきた友人に連れられ、池袋の火鍋屋を訪れた日。私はその火鍋屋で、「変面」と呼ばれる中国四川の伝統芸能を初めて目にした。

席で火鍋をつついていた時、赤を基調とした派手な衣装と仮面を身に纏った「変面師」は、どこからともなく颯爽と現れた。大音量のBGMに合わせ、マントを翻しながら店中央に広がるスペースへと移動し、おもむろにそのショーを始めたのだった。

マントの長い袖で顔全体を覆い、仮面がまるまる隠れたかと思うと、次に袖をくるっと翻した時には見事に違う面に入れ変わっている。まばたきをするよりも早い、一瞬の出来事だ。変面師はその後の数分間、リズミカルな音楽に合わせ、次から次へと仮面を変えながら、店中の席を廻っていった。

突発的な出来事ということもあり、そのショーは強烈に私の記憶に刻まれた。鍋に投入したままの豚肉が固くなっていくのも忘れ、演技に圧倒されたことを覚えている。後日調べたところ、変面師はこんなふうに、十数枚もの面を自由自在に操れるらしい。なんとも不思議な芸能だが、仕掛けは門外不出のようだ。

さて、社会人2年目にして、つくづく思うことがある。

「サラリーマンは、プロ級の変面師だ。」

オフィスでは皆が当たり前のように、上司は”上司”として、部下は”部下”としての役回りを演じている。しかも一口に”上司”や”部下”といっても、一年上の先輩と部長とでは、”部下”としての振る舞い、言葉遣い、声の抑揚にさじ加減があるらしい。

会社の中だけではない。社外に対するコミュニケーションでは、また異なる仮面に切り替えるのが常のようだ。取引先や協業相手と話し合いをする際は、自らの会社側の利害を背負いつつ、会社の顔として信頼を損なわないよう振る舞う必要がある。そのような場で彼らは、社内の上司や部下に対する仮面とはまた異なる面に切り替え、その役割を演じ切る。

会社員として働く人は誰しも、会社や役職や部署といった目に見えるステータス以上に、なんとも多くの面を演じ分けているのだな。

やはり、サラリーマンは凄腕の変面師なのだ。

いくつもの仮面を懐に携え、サラリーマンは忙しない毎日を生き抜いている。そしてあの日の火鍋屋で見た変面師のように、相手が気づかぬ速さで、なんとも華麗に、自然に、仮面を切り替えることができる。彼らはなぜあれほど、場面に応じて、言葉選び、口調、声色を繊細に使い分けることができるのだろう。なぜそれほど多くの面を、いつも懐にしまっておけるのだろう。

私はオフィスで人々を観察しながら、この変面の早業にいつも感嘆する。

目には見えないものが、なんとも沢山蠢いている世界だ——————

ふと自分自身の懐をのぞき、一応確認してみる。
あ、やっぱり。
そんなに沢山の仮面、私の内ポケットには入りきらないや。


ふぅ~~~~っと少し声をのせ、息を吐く。

お昼休み、冬空の下。ひとり並ぶキッチンカーの列。

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