流れに身を任せ、いまを豊かに生きることを教えてサーフィンとの出会い
常に時間と睨めっこしていて、うまくいかないことがあると、自分や相手を心の中で責めてしまう。「幸せだなぁ」と心から思うことは少なく、もっと頑張らないと、とどこか焦りを抱えている。
忙しない現代では、そうやって生きている人も多いのではないだろうか。
実際、6年間東京で生活していた私は「生産性をもっと上げなきゃ」「結果を出すためには今努力しなきゃ」といった考えに囚われ、いまを全力で楽しむ、ということは少しニガテだった。
そんな私が今は「ま、なんとかなるさ。」が口グセになり、日常を楽しむことが上手になった。これまで幸せになるには何かを手に入れなければ、ともがいていたのに、「結局生きてるだけで幸せだよね」と思えるようになった。
何がきっかけでそんなに変わったのか?
それは私にとってサーフィンとの出会いだった。
自分の足で立つことの楽しさを知った日
初めてサーフィンに挑戦したのは、オーストラリア留学していた大学3年生の時。
当時通っていた語学学校のアクティビティにたまたまサーフィン体験の案内を見つけた。その頃の私は、ぎりぎり溺れない程度のカナヅチで、留学に来て数週間、まだ英語もあまり話せない状態だった。
有料のオプションクラスだし、受けない言い訳はいくらでも出せたけれど、「異国の地オーストラリアまで来たんだから色んな体験をしてみたい!
ビビリの自分を変えてみたい!」と自分を奮い立たせて、半分勢いで参加を決めた。
当日、まだ話したこともないスイス人の子と板を2人1組で運び、ノリノリ金髪のインストラクターから簡単な説明を受け、いざ海へ。
遠浅のビーチで足が着くことだけがせめてもの救いだったけれど、7人の初心者サーファーVSノリの軽いインストラクターの組み合わせなので、基本はほぼ放置プレイの遠くから見守るスタイル。
「ほら、波来たよ〜!いけいけー!お、おしいー!」
「立った!立った!Goog job!!」
最初は怖いと感じていた海も、明るすぎるインストラクターのおかげで気づけば楽しい場所に変わっていった。
みんな波に顔も髪ももみくちゃにされていたけど、みんなの顔にはとびっきりの笑顔があった。
コケてもコケてもまた波に挑んで、ようやく立てた時には自然とガッツポーズが出るくらいにはのめり込んでいた。
環境によって変わっていくライフスタイル
海の開放感と、自分で立つことの楽しさを覚えた私は中古で板を買い、自転車の横に板をくくりつけ、学校終わりも休日も毎日のように海に足を運んだ。
留学生活では、同じ国同士の人が集まってしまってなかなか友だちができない、文化の違いに悩まされる、現地の人の英語は早すぎて聞き取れない、など色んな苦悩もあったが、海に行けば、不思議とそんなことは忘れ、夢中で波を追いかけていた。
留学中にかなり大きな支えとなっていたサーフィンだったが、留学生活が終わり、東京に帰ってからは、2週に一回、月に一回、年に一回、とどんどん足が遠ざかってしまった。
大学に通いながら週4でインターンをし、休日はNetflixを一気見したり、ウィンドウショッピングに出かける。都会ならではのライフスタイルも楽しんではいたが、どこかでやっぱり海と共に暮らす生活に憧れがあったようにも思う。
帰国してから東京で過ごすこと3年。だいぶ東京での時間の流れや仕事の仕方、人間関係にも慣れていた頃、2020年7月コロナがきっかけで、自分の幸せについて考え直した結果、地元の奄美大島にUターンすることに決めた。
サーフィンがきっかけで広がる輪
奄美に帰ってからは、サーフィンスクールに通い、少しずつサーフィンの頻度も増えていった。
奄美出身とはいえ、年に1回海水浴をするかしないか程度だった私は海に特に知り合いはいなかった。
でも海に通っているうちに、「お姉さん、最近サーフィンはまってるね!」と声をかけてくれるおじさんがいたり、サーフィンきっかけでSNSで繋がった人がいたり、サーフトリップに来ている旅行者と仲良くなったり、世代も性別も超えたつながりが増えはじめた。
そして、海に行くときは一人でも、海に行けば誰かしら知り合いがいる。いつもコツを教えてくれる上手なおじさんたちや、一緒に切磋琢磨するキッズたち、浜辺でキッズたちの帰りを待っているママさんたちなど。
ただ挨拶を交わすだけの人から、世間話を海の上でする人まで関わり方は様々だったけれど、それでもなんだか仲間が増えたような温かい気持ちになれるから不思議だ。
集団行動がニガテで、昔から一人の時間がないとしんどくなっていた私にとって、これだけ色んなタイプの人と仲良くできるのは意外だったけれど、居心地はとても良かった。
自然の流れに合わせて生きていく
サーフィンを始めるまでは、時計とスケジュール帳と睨めっこすることが多かった。
でもサーフィンを始めてみて分かったことは自然にとって、人間の都合なんてものは関係ないということ。
季節によって、日が昇る時間沈む時間は違うし、どんなに張り切って週末海に出かけても波がないことも多々ある。
最初は思い通りにいかないことにイライラしていた時期もあったが、イライラしても自然は変わってくれないので、こっちが合わせるしかないことを学んだ。
日が短い季節は勉強や仕事の時間を多めに取ってみる、日が長い季節は仕事前、仕事終わりでもヘトヘトになるまでサーフィンを楽しむ。
波が小さい時はリラックスして会話を楽しみながら、波乗りをし、波が大きい時はケガをしないように、危険を察知しながら集中力を高めた状態で海に入る。
そんな感じで自分の中でオンオフつけながら、サーフィンと付き合えるようになった。
ただ生きることを楽しむ
サーフィンをやっていると、波に巻かれたり、大量の海水を飲んだり、漕いでも漕いでも沖に出れなかったり、立ってはコケての繰り返しだったり、つらいこともたくさんある。
でも、気の合うサーフィン仲間に出会ったり、サーフィン終わった後のご飯が格別だったり、必死に沖に出た後に見える水平線に心を洗われたり、良い波に乗れたり、朝日や夕陽でキラキラ光る海面に感動したり、ふとした瞬間に、
「あ~いま生きてるって感じ。幸せ。」
という感情が湧いてくる。
大げさかもしれないけれど、サーフィンを通して「生きることの楽しさ」を教えてもらった気がする。
日々生きていれば、色んな辛いことや悲しいことも起こるかもしれない。でも、穏やかな海が一日で荒れ狂う海に変わったり、またその逆も然り。
人の人生にも波はあって当たり前。大きすぎる波のときは無理せずじっと耐えて、自分にとっていい波が来たら迷わず乗っていく。
変化のある日々も「あ〜いまはそういう時期なのね」と思えたら、どんな毎日でも楽しめると思うのは私だけだろうか?
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