#21 転勤に負けたくない
こんにちは。
ご興味ありましたら、ぜひお立ち寄りください。
今日は、私の中で課題でもありエネルギーにもなっているものについてのお話です。
前提として
夫が転勤族なので、結婚する時からわかっていたことなのです。
数年ごとに住む場所変わることも、その度に仕事や生活環境、人間関係が一旦途切れ、新しく構築していかなくてはいけないことも。
そして、子供達がある程度大きくなるまでは、家族で一緒に住みたいというのが私の希望、願いでもあります。
だから、もう少しの間は、この「移り住む」生活を続けることになるし、それを私たちが自分で選んでいるのです。
父も転勤のある仕事をしていたので、私自身も幼い頃からよく引っ越していたし、幼稚園と小学校は2つずつ、中学校入学の時にも転校しました。
幼馴染が欲しかったとか、友達と離れたくないとか、そういう気持ちももちろんありましたが、転校生としていろんな環境に慣れ親しんでいくための力、新しい出会い、親が引っ越し前後に頑張っている姿(子どもって非日常にわくわくしません?)、そういうものもすごく記憶に残っています。
なので、自分の幼少期に転勤して歩いたことは、全体的に割とポジティブな記憶として残っています。
もしかしたら、両親がいろいろと配慮してくれていた面もあるのかもしれないな、と今になって思ったりもします。
負けるってどういうこと?
夫の異動と同時期に結婚したので、まず10年務めた仕事(相談員としてお年寄りと関わる仕事)を退職して転居することになりました。
わかっていたことなのに、自分で選んだことだともわかっているのに、何だかとても悔しくて悲しい、失ったものが大きすぎる感覚。
「何で私だけ辞めなくちゃいけないの?」と自問自答していました。
仕事も、そこでの人間関係も、家族も、友人も、趣味の仲間もみんな一気に失って、知らない土地に行って、なんだかポカンとしてしまって。
夫は職場ですぐに新たな人間関係ができるけど、私のことは誰も知らない。
全てのアイデンティティを失った様な気持ちになっていました。
今思えば、この時負けたと思っていたのは、
こういうことを理由に、何となくいろんなことを諦めようとしていた自分の在り方。そこに自分自身でイライラしていたのかもしれません。
どうしたい?
何かに不満を感じたり、人を羨ましいと思った時、この問いを頭の中で思い浮かべる様にしています。(ここ数年でそうなりました)
今は、小さな子ども達に手がかかるけれど、そんな日々もあっという間に終わる。
気がついたら、私たちの手を離れていて、寂しく感じる日がやってくると思います。
だけど、その時に何もない自分は嫌だ。
人生の中で、やりがいや生きがいだと思える何かを、細く長く積み上げていきたいし、育てていきたいと思っています。
変化がないのもつまらないし、変化ばかりなのもしんどい。
そんな、何ともわがままで矛盾だらけな心の中や湧き出る気持ちは、その都度拾い上げて、「あ〜そんな気持ちなのか〜」って大切に取り扱いながら、どんな自分にも寄り添っていきたい。
今年は、4年間の専業主婦を卒業し、子ども達を園に預けて働く経験もしています。
4年の間に、世の中でも個人的にもいろんなことがありましたが、家族が増えたり、オンライン上でのサードプレイスを持てたり、一生付き合いたい友人ができたり、グラレコにも出会うことができました。
数年後には、再びこの町を離れて別の土地での新しい生活が始まります。
その時には、きっとまた一旦失うものもあるけれど、変わらず繋がっていく関係や続けていける活動をいくつも持っている自分でいたい。
転勤に負けたくない。この言葉を、ただの文句ではなくて、エネルギーにしながら少しずつありたい自分に向かって進んで行きたいなと思っています。
今週もお疲れ様でした!
みなさんも素敵な週末を。
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