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「優しい」と言われたことが無かった私が、言われてみて気づいたこと

「優しい」って、何でしょう?

これまで深く考えてきたことは無かったんですよね。

自慢じゃないですが、「優しい」って言われたことの無い人生だったので、私とは無縁だったんですよね。悲しい。。!

「優しい」というと私がイメージするのは、人の心を大切にできるかどうか。でも、それってどういうことなんだろう。

「優しい」とは何かを、いっしょに考えていければ、うれしいです。

苦しさ、つらさを知っているかどうか

よく漢字の成り立ちを考えるんですが、

「優」という漢字は、人と憂からできています。

そして、「憂」とは、つらいこと。悲しみ。苦しみ。

そう考えると、苦しさ、つらさを知っているか、経験しているかって「優しい」に関わってくるんじゃないかと思います。

単に、気が利くとかそういうことじゃなく、人の苦しさ、つらさを一緒に感じられるかどうか。

自分がしんどい時のことを思い出してみると、何かアドバイスしてもらえなくても、話を聞いてくれるだけでも、ただ側に居てくれるだけでもうれしいんですよね。

それが、優しいってことなんじゃないか。

「優しい」と言われて、泣いてしまった

去年思い切って参加した、経営ゼミ。

ゼミに参加するときの応募フォームに、わりと力強いメッセージ、思いを書いたことを今でも覚えています。

「自分の身の丈に合わないかな・・・」とも思いつつ、「これは、受けたい!」という思いを、応募フォームの文字数いっぱいに入れたんですよね。

約5ヶ月間学びながら、自分の足りないところに絶望しながら、主催者の方、参加者のみなさんに壁打ちしていただきました。

ゼミの卒業発表のときに、主催者の方から発表者ひとりひとりにコメントをいただいたんですが、そのときに私が言ってもらったのが、

「優しいね」

という言葉でした。

「応募フォームの内容を見て、力強い人だと思ってたんだけど、このゼミを通して優しい人だと思った」

という感じのことを言っていただきました。

なんだか自分でも良くわからないんですが、その言葉を聞いた瞬間、号泣してしまったんですよね。

あれは、何だったんだろう。

言われたことのない「優しいね」という言葉をかけてもらったことへの驚きと、なんだか肩に力が入っていたのが抜けたような感じ。

今このnoteを書いていて思うのは、「優しい」は生まれ持った個性の部分もあるけど、人生を歩んでいくなかでの経験によっても育つのかもと。

自分も経験を重ねていくうちに、人の心を大切にしようと思えたり、時に思えなくて、試行錯誤していったり。

つらいことや、苦しいことも経験する中で、人の心も、自分の心も大切にできるようになっていく。


ちなみに、TEDのプレゼンで感動を巻き込んだ植松努さんが、

「優しい」とは「優れる」こと

とおっしゃっていました。

植松社長は、「優しい」という言葉を大切にされているそうです。

それは、「優しい」のは、比べるモノサシが無いから。

たとえば、「頭がいいね」とかになると、テストの点数が良かったとか、他のお友達よりも良かったとか、他者が決めたモノサシで、人と比べてしまう。

他者が決めたモノサシがあると、いつも人と比べてしまい、自分を見失ってしまう。

そうではなく、親も子どもに「優しいね」と声をかけてあげるのが大切。

その子どもの内面を見ている言葉だから。


「優しい」って、素敵なことだし、大切に育てていきたいなと思います。


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