めちゃくちゃ暗いだけの日記。

勉強したくない。法人と相続は落ちた。この2年間は、全く結果が出なかった。専念も終えて、仕事を始めた。

だから、勉強しなくなったんじゃない。たぶん、もし今年も専念をやっていたとしても、勉強はできなくなっていたと思う。

何が原因で、とかではない。やりきって、ダメだった。自分がやれる最大の頑張りのつもりでやって、結果が出なかった。

そのことで「これ以上頑張れない」と思ってしまった。自習室を借りてはいるけど、全く足がそちらに向かわない。

職場の人に「落ちた」と報告しても、「悔しい」とか、「次こそは」とか、そういう気持ちにならなかった。「無」だった。「次は頑張れ」とは声を掛けてもらったけど、どう頑張ればいいのか分からない。

諦めなかった人だけが受かるのが試験だけど、私みたいに中途半端に諦めたまま10年も20年も、この先ダラダラ勉強してたら、いつか受かるんだろうか。やめなかった人だけが合格を勝ち取れるけど、いつまでもやめられない人は、ずっと負けっぱなしで過ごすんだろうか。

「ここまでやったけどダメだった、これが私の実力」と認めるのは嫌だ。会計士にも税理士にも、なる力がなかった、なんて、こんなに時間とお金を突っ込んで突き付けられるのは辛い。

でも、それを認めるまで時間はかからないだろうし、税理士試験を突破できるほどの、継続力も能力も情熱も何もかもが合格ラインに達しませんでした、お疲れ様でした、というのが、何より点数に出ている。

今の仕事に繋がっているから、勉強が無駄だったとは思わないけど、3年も専念するほどの価値があったかはかなり疑問が残る。

実務でも使わない試験用のマイナー知識をあんなに詰め込んだ意義って何なんだろう。

会計士になれなくて、税理士にもなれなくて、ただただ勉強に対する自意識がコンプレックスに変わっていく。会計士すごいな、税理士すごいな、国家資格すごいな、私は何にも持ってないよ、欲しかったけど、取れなかったよと卑屈さ爆発。

試験に挑戦するっていうのは、落ちたら自分に自信がなくなるリスクをはらむから、やるからには受からなきゃいけない、と、試験勉強に関する本で読んだ。本当にそうだと思う。この先私は、今より良い結果を残すことはないと認めるのは、本当に悲しい。

この3年間で突っ込んできた自習室代、教材代、生活費、勉強道具代、全部が、結果が出ていないから報われていない。ギャンブルでもやって一発逆転狙えるくらいの金額を、勉強に突っ込んだ。そのまま消えた。

挑戦することに意義があるとか、人生に意味のないことなんてないとか、そんな綺麗事が一文字も心に響かない。結果を出すために3年間金と時間を突っ込み続けるも報われなかった。どんな意義があろうが、突っ込んだお金は収入に直結することなく、消えたまま。

不合格で良かったと言えるのは、その後合格した人か、別の道で更に良い場所を見つけた人ぐらい。私には不合格で良かったことなんか今のところ1つもない。

「勉強、やめようかな」という思いと、「また逃げるのかよ」という、学歴コンプレックスのような一生のこじらせが怖いのとで揺れている。

もう頑張りたくない。20代の半分以上を勉強に捧げたけど、捧げきることができなくて、結果は散々。

運で取った簿記1級、相性で取った簿財、2年やっても箸にも棒にもかからない税法。私の勉強における実力はここまで。これ以上の力は私にはない。不合格、普通に痛みしか無い。

あぁ、前向きに終わりたいけれど、気持ちがなかなか前を向かない。不合格をもらう前からそうだったのだけど、もう頑張れないかもしれない。つらい。どうしたらいいんだろうね。

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