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怒りという感情を遣わない生き方は可能なのかもしれない

この2年間大好きな北海道で暮らせるようになり以前より一層ご機嫌に過ごせる時間が増えた気がします。最近怒るという感情はほとんど使わなくなりました。

香川にいた頃は環境自体が身体に合っていなかったのと(この前香川に帰省するとアレルギーで声が出なくなりました。)、自分の中のいちばんを選択できていない自分自身へのストレスで今よりも怒りやすかったです。いちばんじゃないを埋めるために別の何かで余白なく埋めようとして、余白がないからイライラして怒るという悪循環でした。

自分でもあの当時何にあんなに怒っていたんだろうと思いますが、多分環境からくる要因と自分の心理的な要因との両方からだったのかなと思っています。(自分は隠れ短気な人間だとずっと思っていました。)

まず、去年の10月香川に帰った時、空気に少しの砂の味を感じました。アレルギー体質で色々と敏感なこともあるのですが、この2年空気の綺麗な北海道にいたことにより一層感じるようになったのだと思います。2月ごろからは少しずつ花粉が飛び、10月には黄砂等が舞い…。

自分でもこの帰省していた6日間は呼吸が浅くなっているなと感じました。身体がしんどい時ってやっぱりイライラしやすいです。
空気が綺麗って20代の頃には何にも意識していなかったですが、今改めて北海道に引っ越してよかったなーと思う理由のひとつです。


そしてもうひとつの、本当はこうしたいのに…ができていなかったことでのストレス。本当は北海道で暮らしたいのに行動することが不安でできず、その言い訳を自分の中にたくさん作っていた当時。だから別の何かでそれを埋めようと謎に仕事を週6入れてハードコースを選択してみたり。

こんな自分の中のモヤモヤを解消していったことにより、最近ではほぼ毎日心荒ぶることなく穏やかに生きられています笑。でも自分でも時々驚くのですが、今すごくイラッとしたな私。と感じる時があります。それをひとつずつ分析していると何となく見えてきたのは環境的要因が大きいということです。
自分の苦手な環境に行った時ほど、小さなイラッとが出てきたりします。私は人為的な大きな音があまり好きではありません。ものをガチャンとする方、激しめの足音、大きい声など。なぜその音が苦手なのかとそこも考えた時に、イライラしている空気感が苦手なのだと気が付きました。

時々ワイルドなタイプの方でドスンガチャンとする方もいますが、別にそこに対してはそこまでの苦手意識は湧いてこなかったんです。だとすると、その音の中に人のイライラを感じた時ではないかなと思ったんです。

その人が機嫌よくドスンとしていればある程度慣れというものが出てくるのですが、その人が音により自分のストレスを発散しようとしているのを感じると、影響を受けやすい私はすぐイライラがうつってしまいます。
これに気がついたのは、明らかにルンルンしていた時に1分ほど間近で人のイライラの音を聞きました。その後すぐに私は外出したので、さほど気にせず目的地に行ったのですが、そこで店員さんの一言に一瞬ムスッとした自分を感じました。久しぶりに特に理由もないところでイライラを感じたので、お腹が空いているのか、眠たいのかと色々考えましたが、私のコンディション的には特に問題のない日でした。

でも20分前に感じた人のイライラを思い出し、私のイライラじゃないと客観的に感じたことでそのあとはまたご機嫌な1日となりました。
よく本とかにも書いてある、人のネガティブな感情って伝染すると読みますが本当だっと納得してしまいました。

もともと私の両親は感情的にものごとを伝えるタイプで、私自身がそこに苦手意識を感じているのも大きいと思います。だからこそ、ある程度は仕方がないのかなと感じていたのですが、この前の短期アルバイトで更に自分の中で衝撃的な発見がありました。

忙しくハードな現場になった時にも誰もイライラを表面に出していなかったんです。人は余裕がなくなった時にイライラが出てくるのは社会人経験10年以上の中で感じていました。そのピークが過ぎた後のフォローさえお互いあればある程度は仕方がないと思っていました。でも、ピーク後のフォローがあることも前提でピーク時にも感情的にならない場というのを初めて体感しとても感動したのを覚えています。
忙しい、タスクが多い、時間がない。だからといってそれをそのまま感情として出さず、一度自分の中に落とし込んで、相手に伝える手段を冷静に選択する。そんな現場で実際にお仕事をできてすごく嬉しかったです。

今までの職場やいろんな環境も全部自分の選択の結果です。育ってきた環境の中で自分がそれを当たり前としていたから、今まで選択してきた職場でもそれが当たり前な現場が多かったのだと思います。最近自分のペースで生きられるようになり、どんな時も自分自身が機嫌よく暮らせるようになったからこそ、お仕事でもそのような方たちと繋がれるようになったのかなと思っています。

どんなに自分がご機嫌に毎日を送っていても、誰かのイライラを音や態度で感じ、それが伝染してしまうことがあると思います。そんな時、今まではそれでもその場にいるということを選択していましたが、イライラからは離れてもいい、それを感じなくていい世界というものもあるんだなと自分の中に落とし込んで認識することができました。

怒りというもの全てに嫌悪を感じていたら社会では生きていけないと思っていて、ある程度付き合い方をどうすればいいのかという方向に意識が向いていましたが、怒りを必要ないものとして手放すことも可能なのではないかと思うようになりました。
そして過去ずっとイライラしていた経験があるからこそ、どの人の怒りという感情も何か原因があるんだなと思います。その人が今は怒りという選択を取ることしかできず、どう解決したらいいのかわからないんだと思うと人のイライラへの認識も少し和らぐのかなと思います。

…が、私はそっと離れるという選択を取っていきたいと思います笑。自分の中のしんどくなるものに対してしょうがないと思うより、どうすればその感情を感じずに生きられるかに意識を向け、そのための努力をたくさんしていきたいなーと思ったお話でした。

おわり。

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