無題 20240417

ずっと負のループから抜け出せずにいる

見なければいいのに、SNSを開いてしまった
働いていない人が90万人いるから活用しよう、とある
精神疾患だけでも400万人以上いて、そのうちの大半は働いている
難病やがん患者もそう
雇い止めが深刻ながんは、1年に100万人が診断され、うち4割は働いている
活用ってなんだろう、機械か何かだと思っているのかな
自ら意思として働いていない人は、働いていない人全体の僅か2%ほど
かつて読んだ統計の数字が、今でもすらすらと浮かんでくるのはなぜ
でも誰かから見たら、鼻についたりするのだろうな
涙が出る

「あいつら義務を果たしていませんからね」
国民の三大義務はそういう性質のものではないし、憲法は国を縛るものなのに
ドクターストップがかかっても、這い蹲らないと許してもらえないのかな
でもそういうことに声をあげると、きっとまた、白い目で見られたり罵倒されたり無理やり笑えと言われたり揶揄される
そうでなくても、内容には触れず「受け手側の解釈とお気持ちの問題」や「逃げ」として厄介扱いされてしまうのだろう

うつ病は存在そのものを否定してしまう病気だから、本当に近い人々が少しでも日々生きることを肯定できるように手を添えているのに、関係のない人が嗤いながらそれを否定する
価値ないでしょ、出来ることを教えてやるよ役割与えてあげるよ、と上から目線でたくさんの人が言う
そこからまた言葉が広がる
顔も名前もよく知らない人までも、親切や優しさの素振りで覗き込んでいく

人の価値とはなんだろう
誰かに決めてもらうものではないように思っている、わたしが世間知らずなのだろうか

くらべていいのは普通に何でもできる他人とではなく、発病してどん底に落ちていた時、眠れなくてベッドから起き上がれなかった過去の本人でしかない
成功体験を伴わない「課題という名の使役」ではなく、医師が吟味したスモールステップだけがあればいい
Is it wrong ? 

うまく笑えないこと、言葉につまること、人混みが怖いこと、人に会うのが怖いこと、不眠でだるさが抜けないこと、それで時間も感覚もズレてしまうこと、熱が出たり吐いたりしちゃうこと、頭痛や腹痛、そのたびに情けなくて俯いてしまうこと、判断力や認知力の低下、働けないこと、社会からおいていかれるような気持ち、経済的な不安、見通しが立たないこと、当たり前に生活できていそうな人たちを見てかなしくなる気持ち

そういうの全部、今が永遠に続くとは限らないし、もし続いてもそばにいるよと何度でも伝えてきた
でもそれすら笑われるのはつらい
何度も繰り返しかなしくなってつらい
とりつかれたように苦しいのに、どこにも逃げ場がない
いちばん苦しいのは本人なのも解っている

誰もがわかってくれるなんて思ってはいないけれど、がんの時だってそうだったけれど、うつの人と歩む中で見えた景色にはたくさんのノイズがあった
こわれたプレイヤーみたいに絶望を繰り返していた気がする
何年も何年も耐えてきて、もしかしたらコップが溢れてしまったのかもしれない
楽しいこともあったはずなのに、オセロみたいに何かがひっくり返ってしまった
あなたが頑張らないと、というみんな言葉だけはたくさんくれるけれど、きちんと強くなれなかったのがかなしい
でも、これ以上強いねとは言われたくない
わかろうとしてくれる人も慮ってくれる人もいるけれど、笑顔の裏側で何を言われているんだろうと考えては身構えてしまう

経済的には比較的恵まれたバックグラウンドがあってもなお、頼れないし頼りたくない事情だってあることを知っている
それを知っているからつらい
まっすぐ育って生きてきたこと自体がもう強いのに、本当に強すぎるくらいなのに、病気のせいで弱いのだと下に見られるのがどうにも解せない
ずっとずっと頑張ってきた人にそれってあまりにひどいじゃないかと、真顔で立ち竦む

この社会は、ヒトをモノとして見ている
がんやうつ以外もきっとそう
結局人が人を利用する、モノ扱いの社会なのだと痛感する
表向き笑顔で優しく見えても、みんな裏側ではより下位の存在を作り出して貶しては嗤っている
病や困難と向き合う人たちを、教えてやらないと何もできない木偶の坊かのように扱っている

これはナチュラルな見下しにまつわることで、お気持ちや感じ方の問題などでは決してなくシンプルに人権の話なのだと思う
健康な、少なくとも働けるくらいの健やかさがある人がそうではない人をネタにするのもやめてほしい
実情を知らずに病を騙ったり、言葉遊びやおもちゃにもしないでほしい
「~ほしい」はエゴでしかないから、喉元に引っかかっては止まる
やめてくれなくてもそれは個人の自由だけれど、わたしはそこにはいられない
「そんなこと言うなんてひどい、思いやりからだしそれなら付き合えない」と言うならそれでいい、でも打ちひしがれてしまう
期待などしないと最初から決めているはずなのに、こうしてどうしようもない矛盾が残る

医師は膨大な論文や症例を得てきている
患者も診療ガイドラインや医療機関のみハンドブック、時にはIF高いトップジャーナルの論文まで真剣に読んでいたりもする
果てしない積み重ねの先で、どうしても立ち上がれない人たちを誰かが支えている
真剣に治そうとしている人たちに割って入るようなことは失礼にあたるし、手元のパソコンやスマホで通り一遍適当にググッた情報で勝負しないでくれという話であって、誰かの言葉が全てを総括するわけでも代表するわけでもない
まして「SNSで見たんだけど」、ほんと勘弁してよと頭を抱えるけれど、それでも雰囲気や関係を悪くしないようヒリヒリと気を使うのがまた負担になることは伝わらない
そしてすべてを遠ざける

結局どれだけ稼げるのか、それをいいように使ってくれるかどうかで人が人の価値を決める社会なのだろう
壊れたら使い捨て、利己主義と自己責任論が功利主義を名乗って歩いている
同じタイミングで出来上がって同じように出荷されていく商品のよう、同じタイミングでしか評価されない新卒志向とまるで同じ
社会の歯車と言うし、歯車のように仕事には代えがあるけれど、ひとつひとつの歯車には顔がない
 
人はモノなんかじゃないのに
モノでなんてありたくないのに

かわいそうな人と思われたり同情集めと揶揄されたくなくて普段は口にしない「つらい」と「かなしい」ばかりが積み重なっている
ネガティブケイパビリティの大切さを知りながら、それをわかってはもらえないのが現実だ
どうしたら終わるのか、光が見えるだろうか
尾をつかまえようとする子犬のよう
同じところを倒れるまでぐるぐると回り続けている

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」