Anniversary
noteをはじめて1年が経った。
「ブログやってみたらいいのに」という主治医の言葉には首を縦に振らず、でもやはり書き留めておくべきかと思い直して開設したのがこのnoteだ。
確率は低いにしても、何があるかわからない。
そういう状況にあって何かを書いていくということには、特殊な意味がある。
あんなことがあった、とか。こんなことを言って良かったのか、とか。
患者とその周囲には、小さな逡巡と後悔がたくさん生まれがちなのではないだろうか。
患者の身内として、そして患者として。
時間をかけて色々なシーンを見てきた。
それぞれの逡巡と後悔に思い至ったとき、毎日何かを記すことで越えられるものがあるような気がした。
書くということは、考えるということだ。
何も考えずに書くことは出来ない。
考える、言葉にする、選ぶ、書く、少し読み返す、書く、考える、そしてボタンを押す。
その繰り返しの中に、ほんの僅かの間に、気付きやクッションがある。
書きたいことも、必ずしもそうではないことも、きちんと見る。
見て考えていくうちに、わたしはどんどん小さくなっていく。
関わりあいの向こう側、相手の気持ちを考えながら、砂粒のように小さくなってあたりを見回す。
いつかよく知る誰かがここを訪れたとして、その人が「言葉は届いていたんだな」と思ってくれたらいい。
または、「悪いこと言っちゃったかなと思ったけれど、それは織り込み済みだったのか」とホッとしてくれたらいい。
ホッとしながら、降ろした肩の荷を見つめて、次の人にやさしくあってくれたらいい。「わかってないなあ」と笑われてもいい。
人は、いつ書けない日がくるのか、それを正確に予測することが出来ない。
だから書く。立ち止まりながら、考えながら。
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いつもお読みいただいている方も、はじめましての方も、ありがとうございます。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」