熱量、憤りと祈り
久々に怒ってみて気付いたのだが、専ら自分のために怒るということが殆どない。稀と言っていい。
自分に対する興味が薄いのかも知れない。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからないけれど。
Twitterフォロワーさんの話だ。ワクチン接種会場の予診担当者が、問診内容のがん罹患歴を見て食事療法本を勧めるメモを渡したらしい。
予診や問診の内容を、事前にことわりなく目的外利用するのは良くないのではないか。それ以前の問題として、国の事業として設けられている接種の場で、そのためのデータを私的利用してよいのか。
本の内容がどうあれ、そこにもう疑問を抱いてしまう。
「○○食事法でがんが治る」「アレルギーは○○活で消える」「万病撃退のかんたん健康法」
こんな魔法のような甘い言葉が世の中には溢れている。零れ落ちるほどに。
フォロワーさんは聡明で、黒魔法にかかることはなかった。でも、藁をも縋る心境の人だったらどうだったろうか。メモを渡されたのは、果たして一人だけだったのだろうか。
静かに憤りが心を満たしてゆく。
英語でmythは神話。もうひとつの意味は、作り話。神話のような虚構が罷り通る。それを広める人たちの中には、広めた嘘で大きな利益を得ている人もいる。利益のために倫理を切り捨てた人の甘言に酔いしれて、または微かな希望を見出して、優しい人たちが今日もどこかで虚構を勧める。
虚構に光が当たる裏側に、道を逸れたことで悪化して嘆く患者や家族と、離れていく患者を苦しみながら見つめる医療者がいる。
わたしはそれを知っている。
どうか誰も虚構の世界に迷い込みませんように。
怒りは祈りと混ざり合う。それらは相反する概念ではない。少なくとも、わたしの中においては。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」