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ときどき雲と話をしよう

 KANさん逝去の報は、仕事中にLINEで受け取った。それからの仕事中、頭の中ではずっと繰り返し「Songwriter」が鳴っていた。

 クラシックのコンサートやイベントに幼い頃から連れられて行っていたから、「人生初のコンサート」が何だったのかは実はよくわからない。ポップス系のコンサートに行った中では多分最初期がKANさんだったと思う。
 ものすごいサービス精神と歌うピアノマンとしての素晴らしさ、今でも覚えている。まさかコスプレで出てくる人だとは思わなかったし、小芝居まであるとは想像すらしていなかった。びっくりして爆笑してしまうほど、多彩なエンターティナーだった。

 日常的に何らかのかたちで言及はしていないけれど、実際にはよく聴いているミュージシャンやバンドがたくさんいる。その存在は語るまでもなく誰もが知っている上に、自分の中でもすっかり当たり前になっているということなのかな、と改めて思った。
 様々な専用アカウントのフォロワーさんたちも数多く悼んでいて、それぞれが思い出を語っている。それがつまりは、国民的ミュージシャンという存在なんだよな。

 KANさん、多分「愛は勝つ」がたくさん流れるのだろうし名曲だと思う。「君が好き 胸が痛い」と「東京ライフ」そして「けやき通りがいろづく頃」がわたしはすごくすごく、とてもすきだ。まだまだ好きな曲がたくさんある。
 福岡に「けやき通り」が実在すると知った時、こんなに切なくて美しい曲が生まれるのだからさぞかし美しい場所なんだろうと思った。残念ながら、まだ訪れたことはないけれど。
 「ときどき雲と話をしよう」は親しい人が亡くなった時によく聴いたな。歌詞の別れのように忘れはしないけれど、空を見上げたくなる気持ちにしっくりフィットしてくれた。

 何件かの所用が立て込む中でちょうど親を病院に連れて行く時間があり、そこでKANさんの話になった。
 「愛は勝つ、受験や試験の時期によく流してあげてたよね。」
 そうだった。唐突に記憶が蘇った。のんびりしていて受験生らしい受験生ではなかったが、親はそんな選曲をしていたわけだ。
 元選曲マンのわたし、やっぱりその親だなあ。これは血だわ。

 メッケル憩室ではないものの、わたしも先天性の憩室持ちだ。炎症を起こすと発熱するし、出血もする。持続性の痛みもよくない。食べられるものには制限がつくし、アルコールや辛いものは厳禁だ。入院して絶食療養したこともある。
 勿論「憩室違い」だから同じとは限らないけれど、腹痛で受診されたのはきっとおつらかったのだろうな。向こうにもとびきり美味しいシャンパンがありますように。

 優れた音楽性の話は専門家やライターがこぞって書くだろうから、わたしが書くのは思い出だけでいい。サブスクでは聴けない名曲たちを、手に取ってこれからも聴く。じっくりと。

手持ちの一部より



なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」