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月子さん

拝啓

k様

お久しぶりです。お元気ですか?
毎日暑い日が続いていますがいかがお過ごしですか?

昔は梅雨も雨もそんなに好きではありませんでしたが
灰色の空をみていると
だんだんと梅雨の時期が好きになりました
どんより重たい雲も雨の降る音も
ほんのり薄暗い景色も少し落ち着きます

あじさいの花がとても好きで
梅雨時期には沢山のあじさいを見ていました

映画も見たくないし
本も読みたくないし
旅にも行きたくないし
目標や夢も特にないのだけれど

この世界に沢山の花を植えて
邪魔しないように静かに
ひっそり隅っこで暮らしていきたい

ただ
あじさいをみたい
だけになっていました

植物はきれいだなとぼんやり眺めていると
自分の気配が薄くなっていき
それもまた妙に安心します

本当はやりたいことも特にないし
気がつかないように
なんとか楽しい事をさがしてみましたが

結局何もしたくないんですよね

今は森で暮らしています

自然の中に身を置き
花々の風景をしっかりと目に焼き付けて
どんなに追いかけても追いつけない
今をちゃんと意識して暮らしていきたい
自分の感覚に集中していたいと思いました

ぼーとする時間がとても大切で
なるべく言葉をなくしたい
誰の言葉も頭の中に入れたくない

太陽の日差しが痛すぎるので
すこし梅雨のあじさいを思い出して
涼んでいます

ここはとても静かで
夜にはときおりフクロウがないているのが聞こえます。

深い森の中でじっとないているフクロウを思い浮かべていると
kを思い出しました。

いつか遊びに来てくださいね。

月子

月子さんから手紙が来た。
住所はフクロウの森となっている

手紙の内容から夏の時期に書いたものだと分かった。
最後に月子さんに会ったのは3月。春だった。
その日を境に突然月子さんとは連絡がとれなくなっていた。

今は11月の半ば。
すっかり太陽も元気をなくし
曇りの日が多くなってきた。

kはこの季節外れの手紙をしばらく眺めたあと
「来月初めの週の土曜日に遊びに行きます」

たった一行を手紙に書き
フクロウの森
月子さん宛に手紙を送った。

結局返事は来なかったが
12月、約束した日に
kは行ってみることにした

ここからフクロウの森があるr町までは船で行く
久しぶりに船に乗ったkは
海を眺めていた
遠ざかっていく自分の住んでいる町を見るのは不思議だった
まるで遠くから自分を見ているような錯覚を覚える

船で港に着くとそこから列車に乗って
フクロウの森入り口駅に向かう
駅を降りると月子の住む森はすぐだった

駅は小さく
ブルーの椅子に月子さん一人が腰掛けていた

一点を注意深く見つめていた月子さんは
駆け寄って来たkの方をみてにっこり笑った

「今日は寒いわね」

「うん。寒いね」

そして月子さんはすたすたと歩き出した

月子さんは紺色のリネン素材のワンピースを着ていた
kに会うときはいつもこのワンピースを着ている

前にkは
「何時も同じワンピースを着ているね」と言ったことがある

「これしか着れないの」
と月子さんは答えた

同じワンピース
2着を着回しているのだという

森の中はひっそりとしていた

「夢の中で魚のアーチをみたの。」

月子さんはまっすぐ前だけをみて
kに話し始めた。

「そこはシーンとした森の中の湖で
魚のアーチがどんどん私に近づいてくる夢よ。
そして森にお帰りって声が聞こえたの」

「森にお帰りって?」

「そう。夢の中と夜何時ものようにまっ暗な部屋で外を眺めている時に。
森にお帰りって聞こえたの。
声は朝まで続いたの。それで朝になって必要な荷物だけ持って
森に向かったの」

月子さんはまっすぐ前だけを見て歩いている

駅から歩いて10分くらいの場所に山小屋はあった

「ココに住んでる」

小屋に入ると月子さんはすぐに服を脱ぎ捨てた
kと二人の時には何時も裸だった
すべてが息苦しくてたまらない
産まれたままの裸が一番楽だと月子さんは常々言っていた

紺色のワンピースが外の空気を含んで
ふんわりと落ちていった。

見慣れた月子さんの裸は前より少し痩せたようだ
あばら骨が浮き
背中の骨と骨のつながりまで良く見えた
背骨は波をうち
このままじっと見ていると向こう側が透けて見えそうだった

裸になった月子さんは一度だけぶるっと震え
部屋の中に入っていった

小さな小屋
中はがらんとしていた。

部屋の隅にはロッキングチェアーがあり
その椅子の上には真っ白なシーツが無造作に置かれていた。

月子さんは1杯の水をくれた

差し出した手に沢山の鳥肌が立っていた
窓から差し込む日にあたり
鳥肌はキラキラと鱗のようにも見えた。

「この近くでとれる沸き水よ」

水は甘くて美味しかった

「森の中を歩いていたら
あじさいが咲いているこの小屋を見つけたのよ。
あじさいをしばらく見ていると
おばあさんが小屋の中から出てきて

「かすみって言う品種よ」
と教えてくれた。
薄い紫が青に混ざっていて
淡い綺麗なあじさいだった。

そしてこのあたりに借りれるような家はありませんか?とおばあさんに訪ねると
「この小屋使って良いわよ」と言ってくれたの。
おばあさんはその日たまたまこの小屋を訪れていてお掃除をしていたの。
そして借りることにしたのよ。
私、何かを所有するのは嫌いだから借りるくらいで丁度良いの。

おばあさんはどうせ使って居なかったし
人が居てくれる方が家も傷まないからって無料でかしてくれたの。
その代わりにちゃんとお掃除や庭の手入れをする条件で。」

小さいながらもなかなか落ち着く小屋だった
kは残りの水を飲み干すと
床に寝転がった

かすかに木の匂いと月子さんの匂いがする

「良い匂いだ。そしてとても静かだ」

そう言っておもいっきりkは深く呼吸した

「そうでしょ。
ここはとても静かなの。」

「うん。とても良いところだね。
あっ、そうだ。
お土産を持ってきたんだ。
珈琲とはちみつ。」

どちらも月子さんが好きな物だった。

「森に来るときには何も持って来なかったから、
あたたかい珈琲なんて久しぶりだわ」

月子さんは早速珈琲を入れてくれた
マグカップは一つしかなかったので
二人で交互に飲んだ
窓からは木々がそよいでいる姿が見える。

月子さんは蜂蜜の瓶を開けると
そのまま人差し指で蜂蜜をすくい上げ
まじまじと見ていた。

琥珀色の蜂蜜はゆっくりと
おりを重ねながら落ちていく。

「きれいね」
そういうと月子さんは蜂蜜をなめた。
そして蜂蜜の味が全身に行き渡るまで
丁寧に香りに集中していた。

そして珈琲をまた一口飲んだ。

「ここでは何もしないの。
ただ空をぼんやり眺めたり
花を見たり
それだけ」

「ごはんはどうしているの?」

「森で拾った木の実や草を時々食べているわ。
でもそんなに食べない。
何も感じないの。お腹も空かない。」

雲の流れがゆっくりしており
ときおり吹く風がとても心地よかった

kも月子さんの隣に座りただ空を見ていた

「本当に必要な物ってそんなにないんだわ。
ここに来てそう思ったの。
いらない。
こうやって過ごす時間以外何もいらないの。」

月子さんは床にごろんと横になった

「月魚は毎晩あの湖でアーチを作るのよ。
夢で見た魚のアーチとそっくりで
それはそれはとてもきれいなの。
月魚見たことある?」

「ないよ。月魚ってなに?」

「月色に輝いていて
まるで三日月のような形をしているの
尾ひれが長くてとても綺麗な魚なのよ。」

「それはみてみたいね。」

「今夜湖に行ってみましょう。
月魚の邪魔をしてはいけないの。
月魚の邪魔をしないように見ることが大切なの。」

「邪魔って?」

「邪魔をしないように、静かに呼吸をするの。
私は私である事を忘れているの。
そしてそっと見守るの。」

月子さんはいつも遠いどこかを見て話す。
目の前いるkを見ているようでまるで見ていなかった。

kはその目を見ていると
子供の頃に両親と行っていた教会を思い出していた。
お祈りを唱える時の人の目とその目はよく似ていた。

目の前の空間は見ていない。
どこを見ているのか分からない遠く深い目だった。

しばらくすると月子さんの寝息が聞こえてきた

庭の木に止まっている
小鳥の鳴く声が近くで聞こえている

小屋の暖炉は黒く影だけを落とし
ひっそりとしていた。
この冬は全く使われていないようだった。

月子さんは寒さを感じないといっていた。

「皮膚に突き刺さるような痛さをじっと感じているの。
張り詰めた空気や白い息を全身で見ているの。」

寒いのではなく痛いのだと。

kは月子さんの寝顔を見ていた。
手を握ると氷のように冷たかった。
それでも月子さんはぐっすりと眠っていた。

カサカサ、カサカサと音がした。
音をたどってみると
使っていない暖炉からリスが出てきた。
リスはkを見ると一度煙突に戻ったようだが
すぐにまた戻ってきて
月子さん顔の横にぴったりと寄り添い
眠った。

「この森では今の時間は皆眠るのかい?」

そう一人でつぶやいた。
つぶやいた言葉は白い息と共に空中を舞い煙突からそろそろと出ていき
森に消えた。

kも目を閉じる。

夕日の柔らかな光の影がまぶたに残っていた。

外ではちらちらと雪が降りだした。
小屋の中は冷たく時折
キーン、キーンとなる鐘の音が聞こえていた。
鐘の音に聴き入っていたのだが
いつの間にかkは深い眠りに入っていたようだ。
鼻先にふわっとリスのしっぽが触れて目が覚めた。

目を開けると月子さんの頭の上にはリスがいた。

「ぐっすり眠れたようね。グーグー言っていたわよ。」

「・・・りす。」
まだはっきりと目覚めていない意識の中
kはつぶやく。

「このリス、ぷくぷくしているでしょ?
私ここにきて初めてリスをみたのよ。
この子はずっと前からこの家に住んでいるみたい。
おばさんが小屋に居るときには
おばあさんのエプロンのポケットに入っているみたいだけど
私はエプロンも洋服も着ないから
温かい頭の上にいつも乗っているの。
この子は煙突から出入りしていて、
たまに木の実をくれるのよ。」

よくみるとリスはとてもぷくぷくしていた。

「僕もリスは初めて見たよ。
かわいいね。」

月子さんの頭の上は居心地が良いのか
リスはちょこんと座ってじっとしている。

「さあ。そろそろ月が出る頃だから、行きましょう」

月子さんは真っ白なシーツだけを身にまとい夜の湖へとkをさそった。

湖までの道のりをkと月子さんは何も話さず
静かに歩いた。
ときおり月子さんの頭の上にいるリスが
少し後ろを歩くkを振り返った。
かすかに出てきた月明かりのせいか
リスのしっぽが2つに分かれて見える。
なんだか森の木々達もひっそりと静かに何かを見守っているかのようだ。
kの足跡だけが森の中で響いている。ぱき、ざくざく、と。

邪魔をしないように

月子さんは呼吸をやめてしまったかのように
気配がどんどん薄くなっていた。

湖の畔に着くと、リスは月子さんの頭から降りて
森に帰っていった。

今夜はとても月が綺麗で水面にキラキラと光が映っていた。

沢山の白い珊瑚のかけらが湖まで道を作っている。

月子さんは羽織っていた白いシーツをkに渡し
おでこにキスをした。

雨の匂いがする。

遠くて近い夏の始まりを
kは思い出していた。

木の葉がゆれる、さらさらと。

夜空をわたる小魚の群れは
流れる雲と共に
森の中へと消えていく。

月子さんは裸足のまま珊瑚の上を歩いて行った。
とがった珊瑚が月子さんの足にささり
真っ白な珊瑚の道は所々赤く染まっていった。

kはぼんやりと
月子さんの歩いた足跡を見ていた。
赤く染まった珊瑚の道は
赤い花が咲いているかのようだった。

月子さんは湖の中へどんどん入っていく。
夜の森はひんやりしており

湖は月明かりに照らされ
青いガラスのようだった
パリンッと中から割れてしまいそうな
張り詰めた繊細さを
隠しているみたいだ

気がつくと月子さんはあっという間に湖の中央に居た。
湖にプカプカ浮かび月を眺めている。

水面に映る月の光はまるで月子さんだけを照らしているかのように
深く深く潜っていった。

月魚が高くジャンプした。
月魚はキラキラと輝いており
残像は半円を描き
沢山のアーチが湖に出来ていた。

そして月子さんはいつまで経っても戻って来なかった。

1匹だった月魚は2匹になり
遠く深く潜り
最後にポチャンッと水の跳ねる音をkは聴いた。

静かになった湖を
月は優しく照らし

kは湖をいつまでも
いつまでも眺めていた。

静かな森で
フクロウがないている。

ほう
ほう、ほう

風が吹きkのほほをなで、通り過ぎた。

風の中にはかすかに
月子さんの匂いがする。

ゆっくり息を吸い込むとkは静かに目を閉じた。

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