見出し画像

願い事が叶うカミワザのタイミング

 昨日7月7日は、七夕でした。小さな頃から、学校や地域で、紙の短冊に願い事を書き、笹の葉に飾るという機会が度々ありました。大人になってからは、街のショッピングセンター内や、息子が通う学校の玄関に、笹の葉がさりげなく飾ってあり、見かけると私もなんとなく書くようにしていました。すでに誰かの願い事が書かれたたくさんの短冊が、そこに結ばれていました。同じように、私も願い事を短冊に書き、その笹の葉の中に結んできました。私には、日頃から願い事がいくつかあり、いつもどれを書くか迷います。その、いくつもある願い事の代表として、今年は2つの願い事を紙の短冊に書き、しっかりと笹に結んできました。いつ叶うかどうかは「神のみぞ知る」という思いで、この2つの願い事がいつか「叶うといいな」と、ぼんやりと思いながら帰ってきました。

 今までの願い事も、これからの願い事も、ときどき紙に書き、なんとなく眺めていました。紙に書くと明確になります。頭の中から外へと取り出してあげたその願い事は、10年経って叶ったこともあれば、まだ叶っていないこともあります。私が最近思うのは、願い事が叶うタイミングは、今年に書いたものが今年中に叶うわけではないということです。中には叶う人もいるかもしれませんが、私の場合、何年も何年も同じ願い事を毎年紙に書き続け、あるとき、その願い事があまりにも叶わないので、いったん「まぁ、いっか。そのうち叶うだろう」と一度脇に置いておきました。そして、願ったことも忘れるぐらい日常の目の前のことを一生懸命やっているうちに、以前願っていた事が、突然目の前に現れ、気が付いたら叶っている状態にいたことがありました。叶うタイミングは、紙に書いた直後ではなく、願ったことも忘れかけた頃に、自分にとってベストなタイミングで、ちょうどよい形で叶う、ということがそのときわかりました。

 私の今の願い事は、もう5年前ぐらい前から願っています。でもまだ、それは実現していません。5年前の願い事は他にもあり、すでに叶ったこともありましたが、叶った瞬間に、そこで終わってしまう儚い願い事もあれば、実現してから、今でも長続きしている願い事もあり、様々です。今年書いた2つの願い事が、いつ叶うのかも、それが継続していくのかも、まだわからないのですが、ただ「叶ったらいいなぁ」と、ぼんやりと思っています。そのぐらい脱力しているほうがいいのかもしれません。そのほうがなかなか叶わなくても、落ち込むことはありません。

 「そう言えば、こんなこと以前願っていたな」と自分でも驚くぐらい忘れてしまっている状態になったとき、過去に願った願い事が、もうそばにやって来ているのかもしれません。そして、そのとき「あ、これは、いつかのあの願い事だ」と気が付いて、そのとき素直に受け取れば、過去に願っていた願い事がスムーズに叶うタイミングだということです。当時思い描いていたイメージとは全然違うのですが、「あーこうなるのかー」と、自分でも予想が付かない形で今の自分にちょうどよい形で叶うことに驚き、本当におもしろいです。まさに「神のみぞ知る」思いで書いた短冊の紙の仕業。これを「カミワザ」というのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?