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誕生日って、うれしい。

今回の誕生日は、なにか今までと違いました。娘が生まれてから初めて迎える誕生日。それくらいにしか思っておらず、訳が分かったのは私が当時産まれた(敢えて“産まれた”の字を選択)、まさにその時刻である14:41を迎えたときでした。


私は一卵性双生児で、20分差の姉がいます。お腹を切らずに経膣分娩で双子を出産した母のそのすごさを、自分が出産という経験をするまで理解できていなかったように思います。出生時の私は2,700g。(2人合わせてじゃないですよ、一人でです。双子なのに。)周りの双子を生んだお母さんや自分自身が双子という方から話を聞く中で、一番大きな子(×2)で帝王切開じゃないというのも驚かれます。

ちなみに私の昨年のお産は、陣痛から半日以上かかってのタフなものとなりました。詳細はこちら。

分娩台にあがってからも、まあ長かった。何度めかのいきみで出てこなかったその時、あぁまだか、、、と助産師さんの少し疲れてきた感じが半日陣痛に耐えて疲労困憊の私でさえ感じ取れるくらい、思っていたよりめちゃくちゃ長かったのです。

それを考えると、当時の母の、双子の姉が出てきてからよし次はあともう一人だ、なんて到底考えられなくて。そこから20分ものあいだ分娩台で母はいきんで、呼吸を整えて、またいきんで、とやってくれていたとは。

私が逆子だったこともあり、姉が先に出てから余計に時間がかかったのだと思います。私がなかなか出てこなくて、さすがにあと数分でいよいよお腹を切らなきゃいけなかったかもしれないという話はいつか昔に聞いたことがあったのですが、もし私が同じ立場だったら、もう一刻も早くお腹切って取りあげてーーーと思ったと思う。

今回の私の誕生日、娘と過ごす毎日が慌ただしく充実して幸せに満ち溢れていて、とにかくこうやって自分のことよりも子どもへと優先度合いが変わっていくのだなぁ、などとなんとなく思いながら当日を迎えました。


そして生まれた時刻の14:41になった時。
わたしは娘におっぱいをちょうど飲んでもらっていました。

なんだか。
とにかく。
ものすごく、尊い気持ちになったのです。

34年前のまさにこの時、産まれた私は、34年経った今、娘におっぱいをあげている。

来年以降も大切にこの時を迎えるのだろうけど、授乳して迎えるのはもう最初で最後だろうな。タイミングよく授乳していた今回の奇跡。母からわたしへ、そしてわたしから娘へとバトンを繋いでいる感覚を感じられました。


ハタチを迎える数日前に母を病気で亡くし、母と飲みながらしたかった会話や築きたかった母と娘の関係性を、できなかった私は娘とやり直したくて、私は娘の誕生を心から喜びました。
ただ、今回の誕生日を迎えて、なにかがありました。私は母となんだか繋がれた感じがして、そして娘を改めて迎えられた気がする。

こういうような、「あぁ大丈夫だ」と、そういう確信的な何かを感じて、とても満たされた気持ちになりました。


誕生日って、うれしい。
お祝いしてもらってとかおめでとうとメッセージをもらってとか、そういううれしさももちろんなのですが、娘を生んで初めてに近い感覚で、親に対する新たな気持ちを感じられた誕生日。うれしさの種類が増えました。うれしさの深さが深くなりました。

それに気づくことができて、とにかくうれしい。
誕生日って、うれしい。ですね^^

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