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抬花轎(タイファージャオ)

磧口の隣の西湾(シーワン)という集落で結婚式があるというので、シャオウェイと一緒に出かけました。ここでは今も花で飾った輿(こし)を担いで嫁入り行列をするというのです。中国語で抬花轎というそうです。

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ラッパと太鼓と鐘のにぎやかなお囃子の後に、新郎と新婦が別々の輿に乗って、それぞれ4人の男たちが担ぎます。その周りを大人も子供もぞろぞろと取り囲んで新郎の家に向かうのです。途中で新郎の親戚の人が、「喜糖」(シータン)という飴や、老人や男たちには、タバコを1、2本づつ配って歩きます。時々飴をパーッ!と投げるのですが、それを子供たちがジャンプして奪い合います。

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新郎の家の近くまで来て輿を下ろすと、近所の人たちがみんなお嫁さんの顔を見に来ます。あんなにジロジロ覗きこまれてはさぞかし恥ずかしいだろうと思うのですが、共同体に参入する最初の儀式だと思って、じっと耐えるのでしょうか?張芸謀の「紅いコーリャン」のように、布で顔を隠す風習はどうやらなくなったようです。             (2005-07-10)

黄土高原に爆竹は響き渡る
そのうちに、新郎の家から喜びでくしゃくしゃに壊れた顔をした両親が、仲人のような人に連れられてやってきます。顔に白粉を塗りたくり、独特の衣装を着て、お父さんは胸に小箱をぶら下げ、お母さんは小さな箒を持って、首に酢の瓶をぶら下げています。その箒でときどきお父さんをブツ真似をするのですが、それらがいったい何を意味するのかは、村の人に聞いてもどうもよくわかりませんでした。

それから、輿を降りた新婦とお父さんが対面して、お互いあいさつしたり、仲人が照れるふたりの手を繋ぎ合わせたりと、両人を取り囲んでみんなでわいわい囃したてます。そして新婦の手をお父さんがとって、先頭に立って新郎の家に向かうわけです。新郎とお母さんは後ろからついていきます。いかにも“嫁とり婚”といった感じですが、ところによっては、お嫁さんをおぶって家に入るというかたちもあるそうです。ここには新婦の両親、親戚の姿は見られませんでした。

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そしてみなが到着すると、新郎の家の門口で、新婦の到着を告げる爆竹が華々しくうち鳴らされ、灼熱の黄土高原に晴れやかに響き渡ってゆきました。                        (2005-07-11)

日本人といってはいけない
晴れ渡った黄土高原をバックに、花で飾った紅い輿が、喜びに満ち満ちた人々を従えてゆったり練り歩く姿は、ほんとうに絵になる光景で、私は何度もシャッターを押しました。

“高級カメラ”を抱えて紛れ込んだ唯一のよそ者はよく目立ったはずですが、こういうとき村の人たちは少しもイヤな顔はせず、むしろ写真を撮ってもらうのを喜んでくれます。

しかし、このとき私は、彼らから「どこから来たの?」と問われても、「北京から来た観光客です」とだけ答えて、あとは口を開かないようにしていました。そしてシャオウェイには、「今日はめでたい日だから、私が日本人だということをいってはいけないよ」と硬く口止めをしたのです。小学校4年生の彼は、私の言葉の意味をすぐに理解して、いいつけを守り通してくれました。

なぜそんなことをいったかというと、実はこの村は、日中戦争のときに日本軍のたびたびの襲撃に遭い、今も破壊されたままに無残な姿をさらす建物も多く、肉親知人を殺されたという人たちも、まだ多く存命されている村だということを、私は知っていたからです。        (2005-07-12)

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