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とっても気になるジョクさんの過去


こんな作業をまぢかで見るのも初めてですが、実に細かい手作業です。といっても、他所モンの私には見ているだけで熱中症に罹りそうで早々に日陰へ。写真だけでご容赦ください。

こちらの牛は白、あるいは薄茶色なので、こんな濃い茶色の牛は初めて見ました。タイから連れてきたんだそうです。えっ、国境を歩いて?

工事が始まってかれこれひと月半ですから、もう村人たちの熱い視線を集めまくっていることはいうまでもありません。私が現場にいるのは、だいたい村人が日中の休息をとっている時間帯なので、あまり顔を合わせることはないのですが、どうやら、この茅葺の家は、今ではもう誰も作らなくなった(小屋や東屋などはあり)ので、話題になっているようです。あんな立派なものができるのなら、無理して今風のコンクリート造りになんてするんじゃなかった、などなど。。。

完成したらみんなでビールと豚の頭でお祝いしようと、ジョクさんたちがえらく期待しているとカオンがいうので(とにかくビールが飲みたい!)、まぁ、ちょっとしたお披露目パーティでもしようかなと考えています。でも、きっと人が集まり過ぎるだろうなぁ、ビールは何ケース用意すればいいのかしら?豚の頭は高いからひとつだけ。あれはお供えをしてから細かく裂いて酒のアテにするのです(中国ではそうだった)。

ところで、いつも黙々と働いてくれる東隣のジョクさんは、屋根葺きに関しては村の中でも達人なのだとか。そのジョクさんはニコニコとはしているけれど寡黙で、私と口をきくことはまったくないのですが、時々たばこが欲しいと身振りで合図してきます。年齢は50歳くらいだそうですが、正確にはわかりません。カオンがいうには、彼は読み書きも、簡単な計算すらできないのだそうです。何か障ガイを持っているわけではないのになぜ?

現在50歳くらいというと、1970年生まれくらいになりますが、70年といえば、米軍の後ろ盾でロン・ノルがクーデターで政権を握った年であり、クメール・ルージュが力を伸ばして始めていた時期でもあります。75年にはサイゴンが陥落してベトナム戦争が終結。しかしカンボジアでは同年にポル・ポト軍がプノンペンを占領し、飢餓と殺戮の4年間を経て後にようやく91年にパリ和平協定が締結されます。

つまりジョクさんが生まれてから20歳になるころまで、ずっとカンボジアは内戦状態に置かれ、教育の機会は完全に奪われてしまったのです。シェムリアップ州は、ポル・ポト政権が首都撤退後も拠点としてゲリラ戦を展開していた地域であり、アンコール・ワットも一時は占拠されていたようです。

そんな時期に幼少期青年期を送ったジョクさんたちの記憶に残っている光景はいったいどういったものなのか?ただ、村人たちは当時のことを語りたがらないというのは知っています。なぜなら、ポル・ポト軍についた者と政府軍についた者と、両方の関係者が、村には今も混在しているからです。でもこれからはお隣同士になるのだし、80歳(くらいになる)の彼のお母さんとももう″仲良し″だし、これまたゆっくりと時間をかけて(イヤ、そんなに時間はないけど)、彼らの記憶の一端を聞き取ってゆければいいなと思っています。


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