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Oral history 元八路軍兵士 高力榮

崇里チョンリィのすぐ隣に大西局ダーシージーという村があって、そこに元八路軍兵士がいると聞いて尋ねてみました。もうこの高じいちゃんが話好きで話好きで、いつまでたっても止まらないのです。雰囲気や表情から、どうやら‶武勇伝″の類に感じましたが、例によって取材している最中は、私にはほとんど聞き取れません。

あとで標準語に訳したものを読んでみたのですが、じいちゃんは日本軍と戦った時期は短く、話していることのほとんどは、国共内戦時代のものでした。八路軍の名称も、1947年には人民解放軍に改称されているのですが、老人たちはやはり八路軍という名称にこだわりと誇りがあるようです。

高力榮ガオリーロン老人(81歳・男)の記憶  大西局ダーシージー

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まず三交で日本人と闘った。地雷を埋め、火薬を製造した。兵役に就いてから、延安、西安、宝鶏などで闘った。延安で闘ったときは、城外で戦闘があり、町の中には入らなかった。毎日戦闘でたくさんの死者が出た。敵は飛行機で爆弾投下し、機銃掃射した。延安は2、3旅団の兵力しかなかった。ほんとうにいろんな所で闘った。永和、石楼、大寧へ行き、待ち伏せ戦や包囲戦を闘った。

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