トッケーファーム 脱線だらけの途中報告
先回ここをアップしたのは2週間ほど前でした。あの頃から本格的な雨季に入り、ほぼ毎日雨が降ります。日本のような穏やかな雨(いえ、近年はそうでもなくなっていますが)ではなく一気にドバーッ!と来るので、例えカッパがあったとしても、作業はできません。午前中はだいたい降らなくて、2時3時頃から降り始めます。なので、村人たちは午前3時4時頃から農作業を始め、日中は部屋の中や庭先のハンモックに揺られていることが多いのです。
私は夜明け前に出かけることなどもちろんできず、夕方からは雨で、けっきょくいつも1日で1番暑い時間帯に出かけて、ちょこちょこっと作業をし、雲行きを見ながらそそくさと帰ってくるという非合理的な毎日です。それにとにかくひとりなので、何をするにも力足らずで、なかなか仕事がはかどりません。2,3人人手さえあればなぁとため息をつく毎日。
村人たちの民家は、どこもマンゴーやヤシ、パパイヤ、バナナなど背の高い樹木に取り囲まれていて、うまく日陰を作っているのですが、まだ緑がないのでウチはどこよりも暑く、今日などは5分3分はおろか、1分で息苦しくなるほどで、いったいどれくらいあるのか測ってみたら、なんとっ!47℃!これを見ただけで眩暈がしてきて、何もしないで帰って来てしまいました。そもそも、この間熱中症にならなかったのが不思議なくらいです。
ということで、「工事は進んでいるの?」というご心配やらご叱責やら、いろいろいただいているのですが、現状は思わしくありません。微々たるところの現状報告。暑さでぼーっとしていて、写真もあまり撮ってません。
8月18日、ファームに向かっている途中で、竹で編んだゴザのようなものを積んで走っているバイクを見つけて停まってもらいました。こういったものは時々見かけるのですが、他になくきれいに編んであるので目に留まりました。シングルベッドくらいのサイズで1枚85,000リエル、つまり3000円ほどするのでちょっと高いなぁと思ったのですが、このお兄ちゃんの話を聞いて(カオンの通訳付き)、そんなに大変な思いをして行商しているのなら、とほだされて1枚購入しました。
このお兄ちゃんは、カンダールからやって来たそうです。カンダールというのは、メコンを挟んだプノンペンの対岸で、南端でベトナムと国境を接している州です。プノンペンからシェムリアップまでは、国道6号線で318㎞。彼は125㏄の相当くたびれたバイクで、あっちこっち寄り道しながら1週間かけてプレイポー村までやってきたわけです。出発した時は、この倍近い高さの荷物があったそうです。
どこで泊っているのか聞いてみたら、お寺の境内に車を停めて、このリヤカーの荷台の中で寝ているのだそうです。いやはや、夜中に雨も降るだろうし、そんな時はお堂の中にでも避難しているんだろうか?
そして彼はこの先、ポイペトまで行くといっていました。ポイペトはタイとの国境の町、シェムリアップから150㎞。もちろんこれは最短距離で、そんな幹線道路上では商売になりません。けっきょくカンダールから、国道6号線経由で片道500㎞ほど、往復にして1000㎞ですが、実際には、少なくともその1.5倍、もしかしたら2倍くらいは走行するのではないでしょうか?
そういえばしばらく前、村でインド人(インド系カンボジア人)の行商人を見かけたことがありました。衣服や簡単な寝具のようなものをバイクの荷台に積み上げていましたが、彼は″掛け売り″をしているので、定期的に村にやってくるそうです。あの時、傍らに置いてあったノートを、何気に手にしようとした私はすごい剣幕で怒鳴られました。行商人の″掛売帳″は、命の次に大事なものだったのです。
掛け売りといえば、昔″富山の置き薬″というものがあったことをご存じでしょうか?私が小学生だった頃、富山から薬売りが我が家までやって来ていた記憶があります。″置き薬″というのは独特の販売方法で、小さな箱の中に、風邪薬や胃薬、頭痛薬、湿布薬などを入れたものを薬売りが各家庭を廻って置いてゆきます。そして翌年にまたやって来て、その時に箱の中で減っていた(つまり使用した)分だけお金を取り、その箱はまたいっぱいにして置いてゆくのです。
現在の、″ネット販売即日宅配″からは考えられないビジネスモデルですが、売り手と買い手の絶大な信頼関係が成せる業で、薬売りはみな浄土真宗の門徒だと聞いたことがあります。それからなぜか、その薬売りは、子どもたちに色紙で作った紙風船をくれました。決まって紙風船でした。おもちゃなど買えなかった時代、それは大切な宝物となって、そっと引き出しの奥にしまわれたのを覚えています。
脱線ついでにもうひとつ。私が黄土高原に暮らしていた頃、村々に物売りはしょっちゅうやってきました。そもそも購買能力がないビンボーな地域でしたから、売りに来るものは卵や豆腐、油くらいなもので、車ではなくバイクか徒歩。物々交換もできて、例えば乾燥した大豆1㎏で豆腐1㎏といった感じでした。
その中に、何かよく通る売り声を響かせながら時々やってくるおじさんがいましたが、彼は肩から小さなショルダーバッグを下げているだけで、商品らしきものが見当たらなく、その売り声の意味も理解できず、いったい何を売っているのだろうか?とずっと不思議に思っていました。で、ある時答えがわかったのですが、彼は入れ歯を売り歩いていたのです。細かい説明は省きますが、彼の地では、入れ歯は歯医者に行って診療して作ってもらうものではなく、できあいかそれに近い半できあいのものを調整して使っていたのです。お祭りの時に、路上で商いをしている人もいました。それまでいろんな″行商人″を見てきましたが、想像を絶したもののひとつでした。
さてさて、本題に戻ります。8月20日、むやみに力が有り余っているセイハーが、エイヤッ!と″シジフォスの山″を崩してくれました。けっきょくこの山を崩すのに1か月ほどかかりました。まあ、予定通りです。
8月10日に種を蒔いたオクラが立派に育っています。現在栽培しているのはこれだけ。稲はあちこちで穂を出し始めていますが。
今は隣家との境に竹の壁を少しずつ作っています。鶏やアヒルが入って来て、畑の苗を食べてしまうし、ウチでもいずれ鶏を飼うつもりなので敷地の四方は、基本的にこの″竹矢来″になります。これまで鉄条網をかいくぐって自由に出入りしていたお隣さんは、不便になったとご機嫌よろしくないですが。
竹矢来に続いた北側に竹を植えました。これはKさんという方からプレゼントされたものです。実は今回、5月31日に名古屋からベトナム航空でシェムリアップに戻ったのですが、ホーチミンのタンソンニャット国際空港でトランジットでした。ちょうど台風が来ていたのですが、無事に定刻通りにホーチミンに到着し、搭乗口前のラウンジに腰を下ろそうとしたその時、私の目にあるモノが飛び込んできました。
それは岩波新書のブルーの表紙で、私は反射的に「日本の方ですか?」と声をかけてしまったのです。普段、そういう状況の中で日本人ですか?などと声をかけることはないのですが、なぜかその時は、それほど縁があるわけでもない岩波新書に強く引き寄せられてしまったのでしょう。
話してみると、彼女もシェムリアップに住んでいて、なんと、私と同年齢!住所もウチのすぐ近くで、すでに3回もおじゃまして、心のこもった和食とビールでおもてなしを受けているのです。その上に、新築祝いということで、この竹をプレゼントしていただきました。今はまだ若い木なので茂っていませんが、この先5年後くらいにはどうなっているか、楽しみで、とりあえず目標ができました。Kさん、ほんとうにありがとうございました。
これが9月3日のトッケーファーム。作業ができずにほとんど変わり映えがしません。雑草ばかりが茂ってきました。この先も降り続くと、そもそもここに入る道がぬかるんで危険なので、しばらくお休みになるかもしれませんが、天気を見ながら、ぼちぼち竹矢来の工事だけ進めます。無事にオクラの実が実るようになればまたお知らせします。
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