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水上に浮かぶ村 チョンクニアにて

雨の降らない爆暑が1週間ほど続いてグッタリしていたのですが、3日前から毎日スコールがありました。ようやくしのぎやすくなったところで、昨日、トンレサップ湖畔のチョンクニア村に行ってきました。

シェムリアップからほぼまっすぐ南に下がった湖畔がチョンクニアです。そこから直線距離ではあまり離れていない南東の湖畔に、コンポンプルックという村があって、この2か所が観光客がフツーに行かれる水上村です。

観光地としては、コンポンプルックの方が圧倒的に集客数が多く、チョンクニアは村自体は観光地ではありません。ただし、もともとあった粗末な観光船乗り場が数年前に中国資本に買い取られ、びっくりするほど立派なものに建て替えられたので、今後は中国人客はこちらを利用することになるのでしょう。

ただ、同じ水上村でも、この2つの村の様相は大きく違います。それは、コンポンプルックはクメール人の村であるのに対して、チョンクニアはベトナム人の村だからです(正確には後ほど)。

村はほぼ3つの地域に別れていて、最も湖から遠い部分には学校や宗教施設、薬局や商店などがあって、いわゆる水上村ではありません。

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チョンクニア小学校。日曜日なので誰もいませんでしたが、それでなくてもCovid で休校中だと思います。ゲートの上には、「在米カンボジア人がこの学校に70,700$を寄付した」と書いてあります。この人も恐らくは、亡命組かと思われます。それ以外に、カンボジアから出稼ぎに行って成功したなどという話は聞いたことがありません。

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この水位はいったいどこまで上がるのでしょう?

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この部屋はドアが開けっぱなしでした。おそらくは職員室?

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この辺りはベトナム人は少なく、イスラム教を信仰するチャム族が多く住んでいて、モスクもマドラサもあります。イスラム風の住居も見られ、女性たちは髪を覆うスカーフを被っています。もちろんカンボジア国籍です。シェムリアップまで働きに行く人も多いと思われます。

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モスクのすぐ前にキリスト教会(集会所?)がありました。

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そこから10分ほど車を走らせると、チョンクニア川に沿った‶漁師町″になります。漁業で生計をたてている人たちで、道路の右手(川べり)には、船から揚げた魚を分別したり、捌いたり、町から来た業者と取引をしたりするための雑多な施設や商店が並びます。

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入り口辺りにはこんな店舗も並んでいます。

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川の左手が居住区で、これらの家はみな、木材やポリタンクなどを組んだ筏の上に乗っているフローティングハウスです。水位に合わせて上がり下がりするわけで、雨期の後半(普通は9月中旬頃から)になると、これらの家々は少しずつ高い位置に漂うようになってきます。この辺りはベトナム人とクメール人が混住しているのですが、多くがベトナム人です。

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これは漁業組合のようです。

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この川をもうしばらく行くとトンレサップ湖に出るのですが、その辺りにもう1ヵ所村落があって、そこまでは船でなければ行かれません。そこではボートそのもので船上生活している人たちも多く、彼らはみなベトナム人です。

実をいうと、私はここへはすでに10回近くも来ています。いつ行っても真っ黒けな子どもたちが裸足で駆け回っているところなので、今回は子どもたちの写真を撮りたいと思っていました。庭などないので、彼らの遊び場は路上です。

ところが、ビー玉や陣取りなど日本と似たような遊びをしていましたが、私が近づいてゆくと、その場にいた5,6人の子どもたちがいっせいに逃げ出したのです。そして離れたところから、Covid! Covid! と叫んでいるのが聞こえました。

樹木や私有地に囲まれた一般的な村落には今は入りづらいけれど、水辺で開放された公道沿いの村ならば、自ずと雰囲気も違うだろうと甘く考えていたのですが、それは誤りだったと知らされたのです。この時は私ひとりでぶらぶらしていたので、むしろ目立ったのかも知れません。2度同じシチュエーションに立たされて、私はやむなくシェムリアップに帰ることにしました。かろうじて1枚だけ撮れた写真が、トップにあげた写真ですが、この子はいかにもベトナム人といった顔つきをしています。

少し沈んだ気持ちになって、セイハーの待つ車のところに戻っていきさつを話すと、「ここの人たちは教育を受けていないから、同じ外国人でもこっちに住んでいる人と観光客との区別ができないんだよ。気にしないで。」と慰めるのですが、何をかいわんや。‶高い教育″を受けた日本人も、‶高度に文化的な生活″を送る欧米人も、今や世界中至る所で‶区別″がズルリと‶差別″に見事に滑り堕ちてゆく悲惨な光景を、きっと誰もが身近に見聞きしていることでしょう。人間という生物が持つ共通の‶闇″を、コロナウィルスが見事にあぶり出したような気がします。

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さて、まさに帰ろうとしていた時に、この写真のおじさんが、ボートに乗らないかと声をかけてきました。ボートには何度も乗っているので断りましたが、これ幸いとばかりに、さっそく「最近の景気はどう?」と聞いてみました。もちろん、よくないことはわかりきっていましたが。

彼は、「自分はふたつ仕事を持っているけど、両方ともさっぱりだ。観光船の方は外国人観光客がいないから商売にならない。1日に一組か二組のカンボジア人を乗せるのがせいぜいだ。」「もうひとつの仕事は漁師だけれど、魚がさっぱりいないんだよ。」というのです。

トンレサップ湖は東南アジア最大、世界でも有数の淡水漁場といわれているところです。なぜ?と聞いてみると、「ベトナム人が電動の漁具を使って根こそぎ獲ってゆくので、自分たちが行く頃にはさっぱり魚がいなくなっているんだ。」「政府がベトナム側に漁業権を売り渡してしまったからさ。」「観光船乗り場の権利も中国資本に売り渡された。俺たちカンボジア人からどんどん仕事を奪ってゆくんだ。」

そもそも、なぜカンボジアに多くのベトナム人が住んでいるのか?それには、複雑な歴史があるのです。もともと人の往来はありましたが、フランス植民地時代に安価な労働力として移民が奨励され、その後のベトナム戦争時代には戦火を逃れて多くのベトナム人がカンボジア領内に流入したという経緯があります。

ベトナム戦争終結後には、カンボジアに戦場が移り、ポル・ポト政権下では虐殺の対象となり、その後の内戦にも巻き込まれて困難な暮らしを強いられてきました。土地を持つ農民たちは徐々に帰国して行ったのですが、土地を持たない漁民たちが、プノンペン界隈のメコン川流域と、トンレサップ湖畔に残留して生活するようになったのです。

いわば、植民地支配と冷戦構造の落とし子ともいえる彼らのほとんどは、現在も無国籍者です。(最も、セイハーにいわせると、お金さえ払えば簡単に国籍などとれるそうですが。)チョンクニアにいつ行っても子どもたちが多いのは、彼らの多くが学校に行ってないからです。もちろん‶学校″でなくてもいいのですが、それに代わるシステムなり‶場″を子どもたちに用意するのは、両国政府の責任であろうと考えます。

私を指さして、Covid! Covid! と、どちらかというとはやし立てて面白がっていたような、フローティングハウスに暮らす‶真っ黒け″の子どもたちが、‶被差別者″としてこの先もフローティングライフを送ることがないよう祈るばかりです。

*一昨年12月、九州からいらしたお客さんを、コンポンプルック村に案内した時の映像があったので添付します。こちらは高床式の水上村で、乾期のために水位はずっと下がっている時期です。

村の中に小学校もあり、各家庭に電気も来ています。






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