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‶女工哀史″ in カンボジア

最近たびたびお世話になっているKhmer Times と、もう一紙The Phnom Penh Postのことをちょっと調べてみたら、意外なことがわかりました。

Khmer Times は、2014年5月に発行され、プノンペンを拠点とした英字紙ですが、社主はマレーシア人のMohan Tirugmanasam Bandam という人だそうです。ところが、この新聞はたびたび‶盗作疑惑″が問題になっていて、マレーシアの新聞からコンテンツを抜き出して、カンボジアのコンテキストに書き換えていたというのです。

これは英語版のWikiに書いてあったのですが、おまけにとても政権よりの新聞であるとも書かれていました。政権寄りというのは、たしかにそんな感じがします。フン・センのCovid 政策もさんざん持ち上げていますからね。

一方、The Phnom Penh Postは、1992年7月に、カンボジア初の独立系英字紙としてアメリカ人ジャーナリストMichael Hayesによって発刊され、2007年にオーストラリア人の手に売却されたのですが、2018年5月にSivakumar Gというマレーシアの投資家(一説にはジャーナリスト)に再び売却されたというのです。同じ人ではないようですが、またしてもマレーシア、クアラルンプールです。カンボジアではその年7月の総選挙を前にフン・セン首相がメディア弾圧を強めていた時期でもあり、報道機関に動揺が走ったようです。

クアラルンプールは、5年前に金正男がVXで殺害されたところでもあり、何か‶怪しい″においが漂う都市ではありませんか?

そのクアラルンプールへは何回か行ったことがあります。観光ではありません。私は長く中国にいましたが、後半になるに従って、長期ビザの取得がだんだん難しくなってきたのです。留学、ビジネス、あるいは親族でもいれば問題ないのですが、私のようにいったい‶何のために″長期滞在したいのか、はっきり説明できない怪しい人間にはなかなか発給されず、ついには、‶闇ビザ″を取得するために、クアラルンプールまででかけていたのです。

指定されたホテルのロビーに指定された時間に行くと、怪しげな中国人(ないしは中国系マレーシア人)が現れてパスポートを回収し、3日後にまた指定された場所に行くと、クアラルンプールの中国領事館発行の1年のビザがすんなり受け取れたのです。料金はネットで前払いでしたが、いくらだったか忘れました。もちろんかなり高かったです。

で、そのホテルのロビーに集合するお仲間たちは毎回10人ほどいましたが、ほとんどが西欧系の比較的若い人で、みなりもきちんとした真面目そうな人ばかりでした。それぞれ‶闇″で来ているわけだから、お互い口をきくこともなく、ささっと作業だけしてバラバラになるのですが、ある時チャンスがあって聞いてみました。

そして、なるほどっ!と、一瞬で理解できました。彼らのほとんどは宣教師だったのです。つまり、布教活動のために中国に入りたいけれど、正規の申請では通るわけもなく、みなこうやってクアラルンプールまでやって来ていたのです。とにかく中国という国は、「上に政策あれば、下に対策あり」で、お金さえあれば不可能を可能にすることはさして難しいことではありません。私の経験上では。

ついでながら、マレーシアの前は香港で2回取りました。その時は、香港からアメリカまでパスポートを郵送して、ロスアンジェルスの中国領事館発行のビザでした。この場合は、10日間ほど香港に滞在して返送されるのを待たなければならず、その滞在費がものすごくかかって、マレーシアに変更したのです。いくらか安くなりました。

いずれにしろ、このビザ取得にお金がかかり過ぎる、というのが私が中国を離れたひとつの理由です。

さて、本題はこれからなのですが、Phnom Penh Post のバックナンバーに目を通していて、衝撃的な写真に出あいました。

私は4月10日の記事に、縫製工場でクラスターが発生したのは、劣悪な環境が原因ではないかと書きましたが、現実は私の想像をはるかに越えていました。

https://note.com/natsume87/n/ne7fecbdce6c7

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まるで家畜でも運ぶような通勤トラック。そして、宿舎の窓には逃亡を防ぐための網が張られているのです。工場から帰ったらおそらく外出も自由にならず、まさに安価な使い捨て労働力として‶隔離″されているのでしょう。市内にあるクメール・ルージュの強制収容所「S21」(かつての高等学校の校舎を収容所にしたもので、有刺鉄線が張られている)を思い出して背筋が寒くなりました。

カンボジアではある時期まで、Covid-19をうまく抑え込んでいて、死者もゼロだったのですが、2月20日にプノンペンのダイアモンド島という新興開発地のクラブでクラスターが発生し、あろうことか、陽性者が隔離ホテルからガードマンにワイロを渡して逃走したことから今回の市中感染は広がっています。

まずディンハン縫製工場の労働者に感染し、次々と別の縫製工場に拡がっていったようです。

少し古い記事になりますが、プノンペンポストによると;

4月28日現在、206の工場が一時的に閉鎖され、1,673人の労働者がウイルスに感染したことがわかっており、17,000人以上の労働者が現在検疫で隔離されている。206の工場のうち157がプノンペンとカンダール州にあり、現在、チェックが進行中なので、そこから数が増える可能性がある。

推定120万人の工場労働者が、政府によるプノンペンとカンダール州のタクマオのロックダウンの影響を受けており、ロックダウンは5月5日まで延長される予定。

ただし、労働省の発表によると、約10万人の工場労働者と労働組合員が現在(4月28日)最初のワクチン接種を受けていると推定している。

カンボジアの産業は大きく分けて、農業とサービス業と製造業(全体の1/3ほど)ですが、製造業GDPの60%以上が縫製業です。原材料を中国、ベトナム、タイから輸入して、衣料品、靴、サンダルなどに加工してその70%をアメリカとEUに輸出しているようです。しかし、生産の主体となっているのは台湾、香港、中国、韓国の資本で、全体の80%近くを占めています。 

これらの資本が、スペインの「ZARA」、スウェーデンの「H&M」、アメリカの「adidas」「 Levi's」 「GAP」など世界の有名ブランドから委託を受けてカンボジアで生産し、カンボジアから輸出しているのです。

‶世界のユニクロ″も、自社に工場を持たず、すべてアジアの低賃金労働力に委託して成功をおさめた企業ですが、それを支えてきたのが、現代の‶女工哀史″を紡いできたアジアの若い女性たちであったことはいうまでもありません。彼女たちの最低賃金は法律で定められており、現在月額$190です。

*写真はプノンペンポストより

追記:カンボジアは、ポルポト政権下およびその後の内戦を経て、国連などの支援のもとに民主化、市場経済への移行を進めてきた歴史があり、先進諸国によるカンボジア製品に対する輸入優遇措置を受けてきました。多くの商品が免税もしくは低関税の対象になっているのです。その代わりにカンボジアはILOの労働基準を順守するということで、この数年、輸出を伸ばしてきました。労働組合の結成の認可などもそういう事情からと思われます。カンボジアは、東南アジアの国々の中では労働条件がいい方だといわれているのです。月給$190というのは、工場労働者としては、決して安い給料ではありません。

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