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郝家山に秧歌隊がやって来た。

今年の春節は18日で、農暦では初一といいます。この日は家族が団欒を囲む日で、午後2時頃からそろって餃子を食べる風習があって、その開始の合図に爆竹があちこちでバンバン鳴らされます。私も薛勤大じいちゃんの家でごちそうになりましたが、洗面器に山盛りになって出てきました。食べるのは餃子だけで、他のおかずは何も出ません。当地の餃子はすべて水餃子で皮も厚く、おかずではなく、麺と同じく主食です。

新年のごちそうは、「年夜飯ネンイエファン」といって、大晦日に家族そろって卓を囲みます。これは1年で1番のごちそうになります。

初二、初三は「拝年バイネン」といって、親戚にあいさつまわりをする日です。酒やタバコ、箱入りのお菓子や果物などをバイクの後ろにいくつもくくりつけて、その上に人間がだいたい3人くらいは乗って、あっちに行ったりこっちに廻ったりと、忙しい日です。特に赤ちゃんが生まれた家では、お嫁さんが赤ちゃんを抱いてバイクの後ろにまたがり、実家に見せに行くのが慣わしですが、見ているともう危なくて、こっちがハラハラします。

そして22日の初五は、みんな外出しないで家の掃除をする日です。で、私は高家焉の向こう側にある郝家山ハオジャーシャンという村に秧歌隊が来ると聞いたので見に行きました。徒歩で1時間半ほどです。

秧歌というのは、農村の祝い事やお祭りに必ずつき物の歌と踊りで、老いも若きも、傘や扇子を持ってくるくる踊ります。日本でいう盆踊りのような感じですが、衣装もキラキラ、ドラと太鼓が鳴り響きとっても賑やかです。

秧歌隊というのは、ちょっとした劇団のような感じで、寸劇があったり掛け合い漫才があったりして、それを、新年の縁起物として村の誰かが100元くらいのご祝儀を出して自分の家の庭に呼びます。特に前年に婚礼などがあった家では必ず呼ぶので、それを村人たちが見に来るわけです。1日に5軒くらいの家を廻り、この村ではそれがこれから1週間続くそうです。

この坊やたちはふたご。ぴったり息が合ってじょうずでした。

ここでも日本人が初めて来たということで、村人たちに取り囲まれました。ところがその中の数人がすでに私のことを知っていて、中には「年末に来ていた、あの背の高い若い衆はどうした?」と、T君のことまでいう人もいたのでびっくりしてしまいました。ほんとうにくまなく情報がゆき渡っているようです。

正月だったというせいもあったかもしれませんが、ここの村人はみなほんとうに明るく開放的で、私が向けるビデオカメラに手を振ってくれたり、「ほんとうをいうと、こいつは日本軍がやってきたときにできた子で、半分日本人なんだ」と冗談をいってふざけあっている人たちまでいました。

こういう雰囲気ならばしめたもので、私はポケットからおもむろに「マイルドセブン」を取り出して1本ずつすすめるのです。他のものは遠慮してなかなかすぐには受け取ってくれないのですが、タバコだけはフリーパスで、みなニコニコ顔で一服です。タバコを交換するというのは、こちらでは“こんにちわ”という挨拶の代わりなのです。これでもう“中日友好”成立、あとは、「この村にも日本人来た?誰かその頃のこと覚えてる人いない?」と話を切り出せば、「いるいる、ドコソコのダレダレはよく知ってる‥‥」ということになり、だいたいはその人の家まで連れて行ってくれます。
                           (2007‐02‐22)

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